2024年12月22日( 日 )

日中「草の根外交」新時代の予感!(後)

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元中国留学生後援協会 会長
(株)ヤオハル 会長 五十嵐 勝 氏

困っている真面目な人をお手伝いするのは当たり前

 ――「中国人留学生」支援にのめり込んでしまったお話をお聞きしました。しかし、その五十嵐さんが、2000年前半ごろから現在まで活動を休止しているとお聞きしています。それは、なぜでしょうか。

 五十嵐 それは一言で言えば、“情熱”がなくなったからです。私の話ではありません。中国人留学生の話です。1985年代には「中国の新しい国家建設のために、どんなに苦労してでも、日本でしっかり勉強して帰国する」人たちが「日中文教協会」船橋寮にはいました。その情熱は私に、確実にダイレクトに伝わってきました。

 また彼ら国費留学生は、共産党の綱領とは別に、良い意味の高いプライドを持っていました。あるとき、知人が中国語を習いたいと言うので、留学生を紹介してあげました。しかしその留学生は、知人が申し出た謝礼を受け取りませんでした。勉強をしないで、アルバイトをすること自体を恥じているのです。国費留学生のほとんどは、まったくアルバイトはせず、すべての時間を勉強に向けていたと記憶しています。

 私は、会津の生まれです。会津生まれは見栄っ張りではありますが、純粋で真面目で実直なのが特徴です。同時に、「一家の主はお城のお殿さまのような考え方を持ちなさい」と教わります。「道徳に反したふしだらなことはしない、困っている真面目な人にはお手伝いするのが当たり前」と考えるのです。85年時代に始まった私の中国人留学生の支援は、まさにこのことに基づいていました。

留学生は23省、5自治区、4直轄市に分散し活躍中

 しかし、2011年にすでに中国のGDPは日本を抜いて世界第2位になりました。中国は「世界の工場」から「世界の市場」へと大きく発展しています。17年現在、国民1人当たりのGDPはまだ日本の方が上です。しかし、訪中が200回を超える私の肌感覚で申し上げるならば、中国はすごく豊かな国になりました。日本から帰国し、各都市で私を出迎えてくれる元留学生たちは皆お金持ちになりました。

 つまり、私が85年ごろから2000年代前半まで進めてきた支援と同じやり方による日中「草の根外交」の時代は過ぎたということです。同時に、率直に言えば、残念ではありますが、現在の中国人留学生は、情熱以外の儒教精神なども昔に比べればかなり薄れてしまっています。しかしある意味このことは、経済が発展することによって起こる各国共通の現象です。道徳的精神の薄れに関して言えば、私はむしろ日本の若者の方を心配しています。

 いずれにしても、時代は変わったのです。これから必要なのは、現在の日中の国力、経済環境などに相応しい日中「草の根外交」の新しいかたちです。私と懇親のあった元留学生の多くは帰国後、今中国の23省、5自治区、4直轄市に分散して、行政府や大学や民間企業のエリートとして活躍中です。そしてその彼らもまた、日中「草の根外交」の新しいかたちを渇望、模索しています。

限界という言葉はいかなる場合でも主観的的である

 ――日中両国で、「草の根外交」の新しいかたちを模索することはとても重要です。ところで、五十嵐さんと言えば、中国人留学生支援にのめり込み過ぎて、「金融機関への返済金滞納で所有の不動産が競売にかけられた」「卸売市場への買掛金未払いのために、青果業としての鑑札を失った」などという武勇伝が知られています。新聞やTV記事の見出しには「やり過ぎ、限界を超えている」という批判的なものもあります。しかし、五十嵐さんは「限界とは何ですか?」と反論しています。

 五十嵐 これは難しい問題です(笑)。自分のなかには、2人の「五十嵐勝」がいます。1人はごく普通の五十嵐勝で、もう1人は「日中友好」にのめり込む五十嵐勝です。何かことが起こると、2人は争うのですが、「日中友好は悪いことですか?」という問いに、ごく普通の五十嵐勝は反論できず、常に負けてしまうのです。

 次に「限界」という言葉ですが、客観性のない主観的な言葉だと思っています。多くの人は、他人には理解できない限界点を超える行動を、苦もなく迷いもなくしているのではないでしょうか。そして、むしろ限界を超えたところに、新しいものが見えて来るような気もします。

病院の住所と電話番号を教えても支援とは言わない

 留学生が病気になったとします。当時、日本にたくさんあった日中友好組織は、病院の住所と電話番号を教えてくれるだけでした。これは支援とは言えません。なぜならば、彼らには、日本での縁故者や知人がいなかったからです。私はすぐに本人のところに行き、自分の車で病院まで連れて行き、入院手続きを行い、必要な場合は保証人にもなり、支払いも肩代わりしました。あるときは、父親が瀕死の重病になった留学生が帰国するお金がなかったので、卸売市場に支払い予定のお金をまわしてあげたこともあります。

 また、藝大に通っていた留学生が絵画展や二胡の演奏会を開いたこともありました。入場券は100枚です。日中友好組織に持って行くと預かってはくれますが、1枚も買ってくれません。私は即決で50枚購入しました。

 最後に、よく巷では、中国人に関するいろいろな事件や良くない評判を聞くこともあります。しかし、私は「中国留学生後援協会」などの活動で、お金の問題で、日本人には何度も騙されましたが、中国人留学生に騙されたことは一度もありません。日本人でも、中国人でも、良い人間もいれば、悪い人間もいる、これは当たり前のことです。

(了)

【金木 亮憲】

<プロフィール>
五十嵐 勝(いがらし・まさる)
 1942年、福島県会津市生まれ。85年ごろから2000年代前半まで、中国人留学生約4,000人の面倒を看た。89年、第1回「倉石賞」(日中学院 倉石武四郎先生記念基金)を夫妻で受賞。中国の大学および日本語学校で使用する日本語学習書『新編日語』(上海外語教育出版社)の第16課のタイトルは「五十嵐勝さん」である。また『中外名人辞典』(中国の紳士録と言われる)に、日本人として唯一人載る。
 訪中は200回を超え「中南海」に行き、「迎賓館」にも宿泊した。民間人として、胡耀邦(第3代中国共産党中央委員会主席)、孫平化(第3代中日友好協会会長、日中国交回復に尽力、)、唐 家璇(元外相・国務委員)、武大偉(元外務次官・駐日大使)、鄧穎超(周恩来夫人、第4代全国政治協商会議主席)、王光美(劉少奇夫人、元全国政治協商会議常務委員)など多くの中国要人と面会した。

 
(中)

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