大反復する歴史、その「尺度」を探る!(1)
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東京大学大学院 情報学環 吉見 俊哉 教授
「文系学部廃止」の文言が新聞・TVで躍り、学者はもちろん、官僚・政治家、経済人、そして受験生とその両親を含めた国民全体が大騒ぎしたのはわずか1年前のことである。しかし、この問題はその後、何の解決も見ることなく一気に終息した。残念かつ由々しきことである。なぜならば、私たちは今、当時とまったく同じに、未来が見えない底知れぬ不安を抱えて暮らしており、その解決には「文系の知」が役立つと考えるからである。では、文系の知とは何か?
文系の知の特性を実践的に示した『大予言「歴史の尺度」が示す未来』(集英社新書)が今話題になっている。本書は巷に溢れるいわゆる「予言書」ではない。むしろ、私たちが自分自身で未来を予言できる“知恵”(歴史的思考を可能にする条件)を授けてくれるものだ。
著者である東京大学大学院情報学環教授(9月から米国ハーバード大学客員教授)の吉見俊哉氏に聞いた。「文系の知は必ず役に立つ」と考えている
――『大予言「歴史の尺度」が示す未来』(集英社新書)は、大変に話題になった先生の前著『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書)の続編・実践編とお聞きしています。
吉見俊哉氏(以下、吉見) 前著で私が申し上げたかったことは、大きなこと、小さなことの2つありました。小さなことは、文科省叩きをした当時の議論には多くの誤解があって、あの問題をつくり上げた最大の責任者はマスメディアだったということです。なぜならば、文科省は前年にも同じ通知を出しており、遡れば2000年初頭からある意味同じことを言い続けてきました。15年前に遡ってメディアがこの問題を批判するのなら、説得力があります。
ところが、15年に文科省が突然馬鹿なことを言い始めたかのように大騒ぎしました。これは、メディアの姿勢としてまったくいただけません。私には、あの騒動は文科省以上に、日本のマスメディアのレベルの低さを露呈させた出来事に見えました。しかし、私が申し上げたかったのは、このような些末なことではありません。大切なのは、もっと大きなことです。
当時、というか今でも、多くの国民の間に「文系の知は役に立たないのではないか?」という雰囲気が蔓延しています。しかも、あの騒動のなかで「文系学部を廃止するのはけしからん!」と文科省叩きをした識者たちでさえ、「文系の知は役に立たないけれども大切だ」と発言していました。私はそうした考え自体が疑問で、むしろ間違っており、「文系の知は必ず役に立つ」と主張すべきだと申し上げたのです。役に立つこと、すなわち「有用性」には大きく2つの意味があります。1つは「工学的な知」とも言える手段的、目的遂行的な有用性で、そこでは現在と未来の間に“連続性”が前提とされています。現在、目的とされていることを未来に実現していくのです。
しかし、もう1つの有用性は、価値創造的な有用性で、目的自体を創造します。これこそが「文系の知」が本領を発揮する領域で、この場合には、現在と未来の間は、“非連続的”です。つまり、今、当たり前のことが、やがて当たり前ではなくなるという特徴を持っています。歴史の価値の軸がどのように変動してきたか
新しい価値を創るためには、現在、誰もが当たり前と思っている価値を否定する必要があります。当然とされる価値を相対化できなければ、現在の延長線上でしかものを考えることができなくなります。これでは本当にイノベーションは不可能です。周りのみんなが当たり前と思っていることが、実は全然、当たり前ではないと気づくことがとても大切なのです。
しかし、このような発見は、工学的な知はやや不得意です。言ってみれば、ちょっと真面目すぎるのかもしれません。みんなが価値と認めていることのなかで、速度や精度を上げようとします。ところが、価値の創造は、実はそうした手段的な知の特徴である“連続性”を断ち切るところから始まるのです。歴史を長く遡ってみれば、1960年代の日本人が当たり前と思っていた価値観と2010年代の日本人が当たり前と思っている価値観とは、大きく違います。19世紀の価値観と20世紀の価値観も違います。長い歴史のなかで、価値の軸が大転換しているのです。
同時代でも、人類学的に見れば、日本の価値観とイスラム圏の価値観は違います。地域とか国が違えば価値観は異なります。このような知見は、ちょっと本を読み、ちょっと旅行した程度では深くは身に付きません。自分たちの「当たり前」を相対化する術は、「文系の知」を真剣にしっかり勉強して初めて獲得できるものなのです。
『大予言「歴史の尺度」が示す未来』は、私自身が、非常に長い歴史のなかで、その価値の軸がどのように大変動してきたかを、実践してお示ししたものになります。
長いスパンで日本の将来を考えることが必要
――「文系学部廃止」の問題は大騒ぎして、その後、一気に終息しました。先生はこの点に関して、どのような感想をお持ちですか。
吉見 社会がどんどん忙しくなっており、さらに言えば日本全体が世知辛くなっており、短いスパンでしかものを考えることができなくなっているのだと思います。その場その場の反応で精一杯なのでしょう。メディアはそのときどきの出来事に条件反射的に反応し、世論はそれに応じて右往左往する。これでは誰も、未来を相対化できませんね。
受験生のご両親の多数が「できれば子どもは理系に進んでほしい」と考えるのは、比較的短いスパンで子どもの将来の安定を考えることを優先し、長い目で未来を考えることができなくなってしまったことと関係しているのではないでしょうか。昨今では、政治家や経済人でさえ、20年後、30年後のことを考える人が少なくなりました。しかし、社会全体の方針を考える場合、数年先のことだけを考えていていいわけがありません。もっと長いスパンで、連続的な変化に収まらない未来を考えていく必要があります。
(つづく)
【金木 亮憲】<プロフィール>
吉見 俊哉(よしみ・しゅんや)
1957年、東京都生まれ。東京大学大学院情報学環教授。同大学副学長、大学総合研究センター長等を歴任。社会学、都市論、メディア論、文化研究を主な専門としつつ、日本におけるカルチュラル・スタディーズの発展で中心的な役割を果たす。2017年9月から米国ハーバード大学客員教授。著書には『都市のドラマトゥルギー』『博覧会の政治学』『親米と反米』『ポスト戦後社会』『夢の原子力』『「文系学部廃止」の衝撃』など多数。関連記事
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