北九州市議会に最年少議長誕生 ものづくりの潜在能力を生かすまちづくり(1)
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北九州市議会議長 井上 秀作 氏
今年2月、北九州市議会議長に47歳の井上秀作氏が就任した。井上氏は東京でサラリーマンを経験し、元北九州市議会議長の父・勝二氏の秘書に就任。以後、市議会議員となって活躍してきた。井上氏は、積極的に北九州市の発展に寄与したいと語る。北九州市のものづくりのポテンシャルを生かした地方創生プランとは何か。井上氏に北九州市発展のための取り組みを聞いた。
(聞き手:弊社代表・児玉 直)
強すぎる北九州愛
――北九州市議会議長就任、おめでとうございます。北九州市の歴史のなかで、最も若い議長が誕生したことになりますね。また、もう1つ、1995年~97年に議長を務めていらっしゃった井上勝二市議に続いて、市議会で初めて親子で議長を務めることになりましたね。これまでになされなかった2つのことを実行したことになります。
井上 ありがとうございます。政治の道を志して以来、皆さまのご支援のおかげでここまでやってくることができました。ひとえに皆さまのおかげです。私は47歳で、最年少での市議会議長を拝命しましたが、これは北九州市がこれまでにない「何か」を期待しているからではないかと感じています。皆さまのご期待に応えるよう、尽力していく所存です。
――政治家の道を選んだのは、やはりお父さまの影響が大きいのですか。
井上 父はもともと議員ではなく、サラリーマンでした。サラリーマンを辞めた後、幼稚園のPTA会長として活動を始めたのですが、いつの間にか小倉南区の連盟会長、北九州市の会長、全国のPTA副会長と役職を務めていました。全国のPTA副会長だったころの会長が森喜朗先生で、先生から誘われるかたちで北九州市議会選挙に立候補することになりました。しかし父は体が強い方ではなく、私が東京で営業職をやっていたときに体調を崩してしまいました。そこで私が秘書として父の補佐に当たった、というのが私の政治への道の第一歩ですね。
――政治への関心は若いころからあったのですか。
井上 学生のころから興味があり、大学でも政治を学びました。新卒後は一般企業に入社し、営業職をしていたのですが、東京の区議会選挙に立候補しようと本気で考えていました。しかし、私は生まれも育ちも北九州市ですし、北九州愛が強すぎたんですね(笑)。いろんなところで北九州の素晴らしさを宣伝しまくっていましたから、周囲の方から「北九州で活動したほうがいい」とアドバイスされました。ちょうどそのくらいの時期に父が体調を崩してしまい、サポートのために北九州に戻り、政治の現場を学ばせていただいて2002年に北九州市議に初当選しました。
「NO原稿」を貫く
――それから5期当選して今年2月、議長に就任されたのですね。
井上 はい。議長に就任して、改めて私はこれまで議長に苦労させてしまったな、と感じています。私は以前から、新しい政治ができないかと常々考えてきました。その結果、初当選以後、私は議会質問に原稿を持ち込まない、「NO原稿」という方法を採るようにしていました。北九州市議会ではおそらく初めてのことではないかと思います。原稿を持ち込まないということは、誰にどのような質問をするのか事前にわからないということですから、私が登壇するときは全員しっかりと耳を傾けてくれていましたよ(笑)。でも、先ほども言いましたが、シナリオのない議会運営をしていたということは、議長も大変だっただろうなと、今、議長職に就かせていただいて改めて感じている次第です。
――緊迫感があったでしょうね。
井上 当選1期目当時は末吉市長だったのですが、先日お会いしたとき「あなたの質問はどの議員より嫌だった。原稿を出さないのはあなただけだった」と回顧されました。良い緊張感がある関係が築けていたのだと思います。
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<プロフィール>
井上 秀作(いのうえ・しゅうさく)
1969年4月、北九州市小倉北区生まれ。駒沢大学法学部政治学科を卒業後、国際航業(株)に入社。95年、井上勝二北九州市議会議長秘書に就任。2002年2月、北九州市議初当選、以後5期連続当選を果たし、17年2月に北九州市議会議長に就任。趣味は音楽・映画鑑賞、釣りなど。関連キーワード
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