2024年11月21日( 木 )

民法第877条 「親族の扶養義務」に翻弄(後)

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大さんのシニアリポート第59回

 仕事場としての東京をあとにしたわたし。見知らぬ土地での姑の介護を余儀なくされた妻。そこには、明らかに「生活を犠牲にしてまでも両親を看なくてはならない」という義務感と、「作家としての生活を犠牲にしてまで…」という忸怩たる思いが交差した。結局、上野氏のいう「高齢者介護の社会化」が未熟な時代には、「だれも親を看ることができない」という現実に直面して夫婦での「帰郷」以外の選択肢がなかった。「時代が違う」といわれればそれに従う。確かに母が入院していた40年前の老人病棟にも、面会に来ない高齢の入院患者がたくさんいた。老人病棟といっても、医者が常駐する施設のようなものだ。入院患者は暇をもてあまし、毎日面会にくるわたしをうらやましく思い、妬んで実にさまざまな「事件」をおこした。わたしはそれを『S病院老人病棟の仲間たち』(文藝春秋)として上梓。後日、「水曜グランドロマン『老人病棟の仲間たち』」(日本テレビ)と題してドラマ化され、放映された。あれから40年、親と子の密度が大きく変わっている気がしてならない。

 平成30年度より、「地域包括ケアシステム」が本格稼働する。表向きは、「住み慣れた地域で重度な要介護者を支える」と耳に心地よいお題目が響く。本音は、急増する高齢者福祉予算を抑制するための、地方への丸投げである。「地域」というのは、地域にある病院や施設をいうが、当然自宅も含まれる。そこには、「地域住民やボランティアの協力」という声は含まれにくい。いくつかの選択肢があるにせよ、親は住み慣れた家での介護を希望する。どうしても「子による親の介護」が基本とならざるを得ない。扶養義務者としての子が「生活権まで侵害するから、親の介護ができない」という理由の乱発を招き、結果として「ぐるり」の「棄老事件」を誘発するのではないかという危惧を持つ。高齢者は法的にも捨てられる時代だ。

 長寿者が少ない中世期には、「老人そのものが、人びとの願望であった長寿を具現しているというだけでなく、老人が世俗におけるいろいろな規制から解放された自由な身であり、経験の積み重ねによって得られた老いの知、その上に醸成された将来を見通す知、相対化して対象を見ることのできる目、あるいは総合的な見地から判断が下せる全体知といった、一般的には神の属性と思われるような畏敬すべきものを、老人が持つと思われていた」「老人の痴呆を神の自由な世界に一歩近づいた証と捉えることができれば痴呆老人の幻覚・幻聴に起因する発言も妄言ではなくなり、聖性を帯びたものとなる」(『痴呆老人の歴史』新村拓)という時代があったのである。

 人生50年の江戸時代。老後を「老いれ」といい、老いに対してのマイナスイメージがない。幕府や藩の重役も「大老」「老中」「家老」と呼ばれた。人生の達人という意味が込められている。井原西鶴の『日本永代蔵』にも、「若いときには身を粉にして働き、老いたときの準備とすべし」と、「金を稼ぐのは隠居のためだ」と明言している。若いときにその生命力を使い果たしてしまうような生き方をせず、人間としての幸福を人生の後半におき、若年時を、晩年の準備期間と捉えた。隠居後名をなした人物も少なくない。伊能忠敬、杉田玄白、上田秋声、小林一茶などがいる。

 平均寿命が極端に短い時代には、長寿(老人)そのものに大きな価値があった。平均寿命が90歳に近い現在では、長寿そのものに大きな価値を見いだせなくなった。「痴呆」が「認知症」という病気に格上げされ、認知症になることに過大な恐怖を抱くようになった。「老いることは悪」という風潮が流れたのはいつのころからだろう。親の「自立と覚悟」を決意する時代になったのだ。

(つづく)

<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。

 
(59・前)

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