2024年12月26日( 木 )

プレイボーイ創業者ヒュー・ヘフナーを偲ぶ(5)

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国際政治経済学者 浜田 和幸 氏

ヘフナー全盛期を象徴する「バニー」のロゴ

 筆者がヘフナーの元を訪ねたのは、まさに絶頂期と思われる1974年のこと。シカゴにとどまらず、ロサンゼルスにもプレイボーイ・マンションと銘打った大豪邸を確保し、「男性の夢を実現」したのである。「ビッグ・バニー」と称する自家用ジェットにはディスコもあれば、自分専用の大型の円形ベッドの他に16人が眠れる寝室も装備されていた。

 こうした豪華なライフスタイルを、メディアを通じて宣伝し、否が応でも世間の関心を呼ぶ戦術を展開。雑誌、映画、テレビ、そしてプレイボーイの名を冠したクラブ、ホテル、リゾート、カジノと多角経営に邁進したのであった。日本でも月刊プレイボーイ誌の発刊がスタートし、六本木のプレイボーイ・クラブを皮切りに各地にバニー旋風を巻き起こした。日本以外にも積極攻勢を仕掛け、まさに最強のアメリカン・ブランドとして世界制覇を目論んだのである。お堅いアジアの中国文化圏でも「花花公子」(プレイボーイの中国版)は大評判となった。バニーのロゴは世界中で引っ張りだことなり、宝石やファッションのブランドとしてもプレイボーイは地位を固めた。

「生涯現役」永遠のプレイボーイ

日本でもおなじみ、プレイボーイのロゴ

日本でもおなじみ、プレイボーイのロゴ

 しかし、1985年、ヘフナーは脳卒中に襲われる。この時、彼は「これは天からの啓示だ」と言い、ライフスタイルを変えることを宣言。それまでのがむしゃらな仕事オンリーというか、パーティー三昧の生活から思索の時間を大事にするようになる。1988年には、プレイボーイ帝国の企業経営を娘のクリスティーに委ねることにした。と同時に、翌年には2度目の結婚に踏み切った。お相手は「プレイボーイ」誌のプレイメイトとして誌面を飾ったキンバレー・コンラッド。38歳年下の彼女との間にも2人の息子をもうけた。

 人一倍健康に留意してきたヘフナーである。身体を締め付けるような衣服は健康を害すると信じ、外出する時以外はトレードマークとなったシルクのパジャマで一日を過ごした。脳卒中に見舞われてからは、それまで以上に体調管理には気を使った。そのお陰か、御年85歳の誕生日を迎える5日前に、3度目の結婚を果たした。今回もお相手は元プレイメイトで26歳のクリスタル・ハリス。何と年の差は60歳。「バイアグラが欠かせない」と率直に告白していたヘフナーだったが、彼の生涯現役の秘訣は別のところにあったと思われる。
 筆者とシカゴであった時、彼はこう言った。「自分はお菓子屋に迷い込んだ子供のようだとよく思う。いつでも、いくらでも好きなお菓子が食べられる。夢のような世界だろう。でも、あるからといって、何でも好きに食べていたんでは早死にするだけさ。我慢して、本当に欲しいものだけを食べることだ」。

 その「選り好み」のブランド王は、自分を大成功に導いた大恩人マリリン・モンローのすぐ隣のお墓に埋葬されることになっている。あの世に旅立った後まで、モンローと共に話題を独占しようとする貪欲な思い。それこそが本当に彼が欲しがった永遠の名声というものであろう。「永遠のプレイボーイ」のご冥福を祈りたい。

(了)

<プロフィール>
hamada_prf浜田 和幸(はまだ・かずゆき)
国際未来科学研究所主宰。国際政治経済学者。東京外国語大学中国科卒。米ジョージ・ワシントン大学政治学博士。新日本製鉄、米戦略国際問題研究所、米議会調査局等を経て、現職。2010年7月、参議院議員選挙・鳥取選挙区で初当選を果たした。11年6月、自民党を離党し無所属で総務大臣政務官に就任し、震災復興に尽力。外務大臣政務官、東日本大震災復興対策本部員も務めた。
今年7月にネット出版した原田翔太氏との共著『未来予見〜「未来が見える人」は何をやっているのか?21世紀版知的未来学入門~』(ユナイテッドリンクスジャパン)がアマゾンでベストセラーに。

 
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