【2017衆院選・福岡】浪人生活5年間 稲富修二、斯く戦えり(前)
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自民党が「日本最大の激戦区」と位置づけて総力戦で挑んだ福岡2区。自民候補・鬼木誠氏を脅かしたのは希望の党の元職・稲富修二氏。稲富氏は、5年間の浪人生活のなかで「稲富党」ともいえる支持層を広げていき、大接戦の末に議席を獲得した。所属政党の支持が急落するという逆風のなか、どのように戦ってきたのか。稲富氏と、稲富氏の活動を支えてきたその妻・由紀子夫人の談話などをもとに振り返る。
1票の尊さを学ぶ
「風というより嵐が後押ししていた。今思えば、誰でも当選する選挙だった」。2009年7月、自民党から民主党への政権交代が実現した衆院選について稲富氏はそう振り返る。この選挙で稲富氏が獲得した票は15万票。しかし、逆風に晒された民主党が政権を失った12年12月の衆院選では、稲富氏は前回の半分にも満たない6万8,000票で落選。リベンジを期した14年12月の衆院選では、8万3,000票まで増やすも比例復活当選まで70票足りずに落選した。「70票。わかっていれば、集められる数。何が足りなかったか、なかなか整理がつかきませんでしたが、改めて1票の大切さ、尊さを知りました。その1票を放棄する人が5割います。この1票をなんとかしたいとやってきました」(稲富氏)。街頭に立ち、1人ひとりに声をかけて、チラシを配った。
浪人生活を続けるなか、初当選後、当時の民主党幹事長・小沢一郎氏が1年生議員に贈った言葉を思い起こした。「国会に行ってやりたいことが100も200もあるなか、『君たちの仕事は、次の選挙に当選すること』と言われたのが非常に印象に残っています。いくら良いこと言っても、それはまったく意味のないこと。落ちれば、ただの人ではなく、ただ以下の人です。偉そうにしても社会に何も貢献できない。選挙第一主義という批判もあるでしょうが、5年間、私が浪人するなかで、やはり、次の選挙に当選すること、すなわち民意を得ることが最大の仕事であると学ばせていただきました」。1票を尊ぶ稲富氏の姿勢を受けて、支持の輪が広がり始めた。
由紀子夫人の言葉
地元有権者の間では、いつも街頭に立つ稲富氏の姿が印象に残っている。決して楽ではない活動を支えたものとは何だったのか。6人の子どもたちの子育てを担い、今まで内助の功で稲富氏を支え続けてきた妻・由紀子夫人は、10月17日に開催された決起集会で集まった支援者への感謝を込めて以下のように語っている。
由紀子夫人 うちには子どもが6人おりますが、主人は、ほとんど家(うち)にはいません。朝、子どもたちが起きる時間と、主人が街頭に立つ時間を合わせておりますので、朝の「行ってらっしゃい」だけが(主人が)子どもたちと関わる時間です。あとは、子どもたちが寝てから帰ってくるという毎日です。
今回の選挙戦、私は初めて「妻です」というタスキをかけて、主人が毎日立たせていただいた街頭に、主人と同じ時間、立たせていただいております。そこで、多くの皆さんに「いつも頑張っていたね」「今回は入れるからね」「今回は頑張ってね」。多くの言葉をいただきました。私は主人を子どもたちと見送った後、子育てに追われ、主人がどんな気持ちで駅に立ち、雨のなか、皆さまにチラシを配り、活動していたか。
この5年間、主人が気持ちを変えることなく、頑張ってこれたのは、皆さまがいつもあたたかく支えて下さったから。ほんとにそのありがたさが、この選挙戦、街頭に立たせていただいて、ほんとによくわかりました。そして、本人がどんな気持ちで頑張ってきたか。どうか、稲富を国政に戻していただいて、どうか仕事をさせて下さい。
(つづく)
【山下 康太】
<プロフィール>
■稲富 修二(いなとみ しゅうじ)
1970年8月生まれ、福岡県大野城市出身。95年、東京大学法学部を卒業し、丸紅(株)に入社。96年に退社し、松下政経塾に入塾(17期生)。02年、米国コロンビア大学公共政策大学院を修了。09年8月の衆院選では民主党公認で初当選。12年12月、14年12月と2度続けて、衆院選に落選。17年10月、衆院選の九州比例区で復活当選した。関連記事
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