【2017衆院選・福岡】浪人生活5年間 稲富修二、斯く戦えり(後)
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自民党が「日本最大の激戦区」と位置づけて総力戦で挑んだ福岡2区。自民候補・鬼木誠氏を脅かしたのは希望の党の元職・稲富修二氏。稲富氏は、5年間の浪人生活のなかで「稲富党」ともいえる支持層を広げていき、大接戦の末に議席を獲得した。所属政党の支持が急落するという逆風のなか、どのように戦ってきたのか。稲富氏と、稲富氏の活動を支えてきたその妻・由紀子夫人の談話などをもとに振り返る。
本当の代議士として
「大義のない選挙」ともいわれた2017年の衆院選だが、稲富氏には大義があった。有権者の声を聞くなかで稲富氏は、「安倍一強を4年続けるかどうかが問われている」と感じたという。稲富氏は、一強政治の問題点を「一強政治が続けば、国会議員は官邸のほうを向き、総理や官房長官の顔色ばかりをうかがう」と指摘する。その姿は、有権者の代弁者である“代議士”とは、かけ離れたものである。「アベノミクスで景気は良くなったが生活の声とはかけ離れている」という稲富氏には、今回の選挙に、地元有権者の代理人として安倍一強政治に挑むという明確な大義があった。
今回は、比例での復活となったが、もちろん小選挙区で勝ち抜くことが目標だ。稲富氏は、「鬼木氏と競い合う形となりましたが、何とかその背中に追い付きたいということが、私、私の妻、そしてスタッフを後押ししました。今は、野党が信頼されず、選択肢としてなり得ていませんが、国全体の政治に緊張感、競争関係があってはじめて政治の質が上がっていくのではないでしょうか。どうやったら国民に対していい政治ができるかという競争が必要です。(鬼木氏と)同じく国会に送っていただき、地元の皆様を代弁して、有権者に、どのように情報を伝え、どのように貢献できるかがこれから問われます。競争の第一歩が踏み出せました。政治を良くする大きな道につながるよう頑張ります」と語る。すでに次の戦いは始まっている。
最後に、稲富氏は、愛する家族、子どもたちに次のようなメッセージを贈った。「今は『イクメン』が時流ですが、私は、まったく失格で、ほとんど妻や母に任せきり。この立場をいただいた以上、国や福岡、地元の皆様に少しでも貢献するよう、自分の人生すべてをかけて、この職をまっとうさせていただきたい。その親父の仕事を見て成長してくれればと思っています」。国会議員として、また、新たな一歩を踏み出した稲富氏。福岡の未来を担う政治家に成長することを期待する声は大きい。
(了)
【山下 康太】<プロフィール>
■稲富 修二(いなとみ しゅうじ)
1970年8月生まれ、福岡県大野城市出身。95年、東京大学法学部を卒業し、丸紅(株)に入社。96年に退社し、松下政経塾に入塾(17期生)。02年、米国コロンビア大学公共政策大学院を修了。09年8月の衆院選では民主党公認で初当選。12年12月、14年12月と2度続けて、衆院選に落選。17年10月、衆院選の九州比例区で復活当選した。関連キーワード
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