トランプ現象を生んだ「アメリカ土着キリスト教」の真実(5)
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国際基督教大学 学務副学長・教授 森本あんり氏
アメリカの現状を読み解く上では、神学的な理解が不可欠である。それは、アメリカがピルグリム・ファーザーズ(巡礼父祖)に代表されるプロテスタントたちが立ち上げた宗教国家だからだ。しかも、アメリカという国を最深部で動かすキリスト教という原理は、「土着化」してヨーロッパのそれとは大きく異なる。本来、『聖書』における神と人間の関係は「片務」契約である。すなわち、神は人間の不服従にも拘わらず一方的に恵みを与えてくれる存在だ。アメリカではそれが「双務」になり、さらに主客が逆転している。
このことは何を意味するのか。話題の近刊『宗教国家アメリカのふしぎな論理』(NHK出版新書)の著者、森本あんり 国際基督教大学 学務副学長・教授に聞いた。読者が政治・経済・社会関連の本を読んでも「トランプ現象」や「ポピュリズム」について何となく残った頭の“霧”がこの本で一気に晴れる。反知性主義者とポピュリストはよく似ている
――ポピュリズムに関して、宗教的な観点から少し言及していただけますか。
森本 トランプ大統領の就任、イギリスのEU離脱(ブレグジット)、あるいは極右政党の躍進ななど、近年の欧米諸国における選挙や投票の結果は、世界的なスケールでポピュリズムが蔓延していることを示しています。実は、反知性主義者とポピュリストはよく似ています。いずれも反エスタブリッシュメント、反権威を軸足にして、大衆の代弁者を自認するからです。
ポピュリズムは、いわば代替宗教といえます
――なぜ常識ある市民がポピュリズムに染まるのでしょうか。
森本 ポピュリズム蔓延の原因を把握するには、政治制度の面だけでなく、そこに表出された人々の主観的な感情を理解する必要があります。ポピュリズムのもつ熱情は、本質的には宗教的な熱情と同じです。かつて、社会的な正義を是正しようと思った人たちは、教会やお寺に集まりました。しかし、現在、そういった既成宗教が弱体化し、教会やお寺は人々の発言を集約する機能を持たなくなりました。
人間は誰しも「正統」を名のりたいと思っています。多くのポピュリストはポピュリズムを義憤(正義にはずれたことに対して感じる憤り)と考えています。ポピュリズムは、いわば代替宗教といえるのです。宗教であるがゆえに原理主義的な性格を示しやすいし、善悪二元論的な世界理解はわかりやすい。
日ごろ抱いている不満や怒りを、たとえ争点とは事実上無関係であっても、そこに集約させてぶつけることができます。つまり、ポピュリズムは一般市民に「正統性」の意識を抱かせ、それを堪能する機会を与えているのです。部分が全体を僭称、内側から正統性を蝕む
しかし、こうした状況は、民主主義が成熟した国では危険です。民主主義社会では、政治が扇動家やポピュリズムに乗っ取られる危険性は常に伏在しています。民主主義という概念は、本来いくつもの要素で構成されており、多数決原理はそのうちの1つに過ぎず、投票による民意は、時と場所を超えたより大きな多数者の声を代弁することはできません。
政治とは本来、妥協と調整の世界です。一方的な善の体現者もいなければ、一方的な悪の体現者もいないのです。にも拘わらず、このように、部分が全体を僭称するとき、正統性は内側から蝕まれていきます。そして、この構図は宗教において、正統性から異端が生じるプロセスとまったく同じです。
異端であることに、とくに痛痒を感じない時代
――時間になりました。最後に読者の明日に一言、メッセージを頂けますか。
森本 今までのお話を宗教学の観点から見直すと、私が近年考え続けている「正統の蝕」という問題に集約されてゆきます。現代は、宗教に限らず、政治でも経済でも学問でも、あらゆる面で正統の権威が浸蝕され、異端であることにとくに痛痒を感じない時代といえます。
私が考える「正統」とは、社会全体を支える基礎的な信頼関係のことです。普段は気遣ないけれど、誰もが前提にしてそのうえに生活世界を構成しているような信憑性のことです。そして、異端とは本来、「自分こそ正統である」という主張を掲げて、正統に挑戦し、これにとって代わろうとする勢力のことです。宗教改革者のルターは、自分が「異端」とは考えていませんでした。
一方、日本の異端は、「居直り異端」や「片隅異端」(丸山眞男)と揶揄され、そのようなダイナミズムを発揮できていません。飲み屋の片隅で上司の悪口をいう程度で終わってしまい、変革の力にならないからです。政治の世界でも、正しい異端からの挑戦を受けなければ正統も育ちません。現在日本にあるのは知性主義でも反知性主義でもない、「半」知性主義(竹内洋)かも知れません。
自分の「コーリング」を見出し、最善を尽くす
現代は日本に限らず、権威の失墜、正統の弱体化という状況が生じています。その先にあるのは、理念や目的を欠いた場あたり的なポピュリズムの支配であり、会社でいえば、利益だけしか追求しないマネジメントということになります。
人は金儲けのためだけに働いているのではありません。自分が社会の役に立っている。尊敬される意義のある仕事をしている。そういう意識を持っている人は、士気も高く、熱心に働くことができ、結局は会社全体の評価も上がります。ここにも、私の考える「正統」のあり方が示されています。もちろん現実の世界では、正しい方がいつも勝つとは限りません。しかし、それでも自分が正統を担う、という覚悟を決めた人には、単なる腕力の強さではない胆力が備わります。最終的にはそれが勝負を勝利に導いてくれるものと思っています。
これから企業や組織のトップを担おうとする方のみならず、あらゆるビジネスパーソンに向けて私からお伝えしたいことがあります。人間が本当に満足できる仕事というのは、自分の「やりたいこと」と「やらねばならないこと」が一致している仕事です。神学的にはこれを「コーリング」(召命)と言います。人はそこへと「呼ばれて」ゆくのですが、それに「応える」ことが真の充足感をもたらします。
人間の「運命」とは、そういうものだと私は思っています。読者の皆さまが、今置かれているそれぞれの場所で、自分のコーリングを見出し、与えられた運命をしっかり受け止めて、最善を尽くすような仕事をされることを祈っております。(了)
【金木 亮憲】<プロフィール>
森本あんり(もりもと・あんり)
1956年、神奈川県生まれ。国際基督教大学(ICU)学務副学長・教授(哲学・宗教学)。
79年国際基督教大学人文学科卒。91年プリンストン神学大学大学院博士課程修了(組織神学)。プリンストン神学大学客員教授、バークレー連合神学大学客員教授を経て、2012年より現職。著書に『アメリカ的理念の身体 寛容と良心・政教分離・信教の自由をめぐる歴史的実験の軌跡』(創文社)、『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)、『宗教国家アメリカのふしぎな論理』(NHK出版新書)など多数。96年『ジョナサン・エドワーズ研究』でアメリカ学会清水博賞受賞。関連記事
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