2024年11月25日( 月 )

右翼・総会屋・暴力団の呪縛~神戸製鋼所(前)

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 2017年10月31日、(株)神戸製鋼所は神戸製鉄所の高炉を停止した。58年10カ月にわたって鉄をつくり続け、同社を鉄鋼大手の一角に飛躍させた。1995年の阪神淡路大震災で被災したが、2カ月半で復旧し「産業復興の象徴」とされた。しかし、検査データ改ざん問題で、会社の存亡の機に直面したとき、その役割を終えて、歴史の幕を閉じる。神戸製鋼にとって、栄光の象徴だった高炉の閉鎖は、有為転変を物語る出来事であった。

神鋼が悲願とした高炉の建設

 (株)神戸製鋼所は、安倍晋三首相が政界に入る前に勤めていた会社として知られる。安倍氏自身、「私の社会人としての原点」と語るなど、神鋼への思い入れは強い。

 『首相動静』(2017年6月23日)によると、首相は神戸製鉄所を訪れ、10月に休止になる高炉を視察した。阪神大震災から2カ月半で再稼働にこぎつけ「復興のシンボル」と呼ばれた施設。高炉に使われているのと同じ耐火レンガに、安倍首相自ら「神の鉄魂」と揮毫した。

 安倍氏は、新入社員当時、神戸製鋼所加古川製鉄所の工程課厚板係に所属し溶鉱炉の現場にいた。16年3月30日に放送された新社会人向けの自民党インターネット番組で、安倍首相は、神戸製鋼の新入社員時代、数値の入力ミスで長さの足りないパイプを大量に製造してしまったエピソードを披露した。

 神戸製鋼所は1905年、戦前の大財閥の鈴木商店が買収した小林製鋼所が起源。平炉メーカーの神鋼にとって、自前の高炉を持ち銑鋼一貫体制(鉄鉱石から鋼材の生産までの工程を連続して行うこと)を整えることが、戦前からの悲願だった。平炉とは銑鉄、屑鉄などから鋼をつくる炉。高炉は鉄鉱石から銑鉄をつくる炉。耐火煉瓦で築いた溶鉱炉が、高炉のシンボルである。

 戦後、川崎製鉄(のちのJFEホールディングス)と住友金属工業(のちの新日鐵住金)は、いち早く銑鋼一貫メーカーの道を歩み始めていた。出遅れた神鋼は、神戸市の埋め立て地に高炉を建設。59年1月、神鋼灘浜工場で、一号高炉の火入れ式が挙行された。これが現在の神戸製鉄所である。

合併の内紛に右翼の巨魁・児玉誉士夫が介入

 悲願の一号高炉を建設した神鋼は、銑鋼一貫体制を整えるために、65年4月、尼崎製鉄(尼鉄)を吸収合併した。合併は、うまくいかなかった。お決まりのお家騒動が勃発した。合併して4年後の69年から70年にかけて、社長の外島健吉氏と尼鉄の社長だった副社長の曽我野秀雄氏が激突した。

 曽我野氏が援軍を頼んだ先が、右翼の巨魁・児玉誉士夫氏だった。いかにも、荒法師とか暴れん坊といわれる曽我野氏らしい荒っぽい行動だ。児玉氏は「外島追い落し」に力を貸すことを約束し、事件に介入してきた。

 途中で、児玉氏は外島氏側に寝返る。このとき、児玉氏の意向に沿って動いたのが総会屋の木島力也氏だった。木島氏は児玉氏のダミーとして、神鋼内部に深く食い込んでいく。

(つづく)
【文・構成:森村 和男】

<COMPANY INFORMATION>
(株)神戸製鋼所
代 表:川崎 博也
所在地:兵庫県神戸市中央区脇浜海岸通2-2-4
創 業:1905年9月
資本金:2,509億円
売上高:(17/3連結)1兆6,958億円

 
(後)

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