エンディングノートに記入する意味とは?(前)
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大さんのシニアリポート第63回
親戚の通夜と葬儀に参列。盛大な葬儀だった。正直、葬儀にしては少々張り込みすぎたのではないかと危惧したほどだ。案の定、喪主を務めた故人の妻からは、「ほんとうは家族葬にしたかったのですが……」と、何となく奥歯にものが挟まったようないいかたをされた。
ただ、葬儀には故人が勤めていた会社の上司や同僚が大勢つめかけ、故人の人徳がうかがわれた。「いい葬儀でした」と親戚の評判も上々だったが、私は、喪主の「ほんとうは家族葬…」という言葉が心の片隅に残った。「葬祭場の使用料、祭壇の大きさ、ふたりの僧侶へのお布施、戒名代、そのほか飲食代を含めて300万円は下らなかったでしょう。これに新しく墓を造れば少なくとも400万円を超すかもしれませんね」。懇意にしている岩田裕之さん(葬儀コンサルタント、「あしたばフューネスト」代表)が教えてくれた。故人はここ10年ほど体調を崩し、入退院を繰り返す生活を続けていた。高額医療費制度を利用したとしても、医療費はかさんだに違いない。「家族葬に……」と漏らしたのは、そうした家庭の事情もあったのだと推測できる。
「朝日新聞」(2018年2月11日号)に「弔いのあり方」と題する特集記事が載った。そのなかに、「父(享年82歳)の葬儀は、母の希望で広い会場を借りました。でも何十年も前に会社を引退していて、(参列者が)大勢来るわけでもなく、ガラガラでした。ご近所の方もほとんど年金生活者で、香典は大きな出費なので、母が無理に出席をお願いしたようで気の毒でした。自分の時は、家族だけで、告別式だけにしようと考えています」(千葉県・50代女性)とあった(引用部分カッコ内は編集部)。
会社の重役であった父、という喪主の思い込みがあっても、月日が経てば関係性は希薄になる。喪主がみじめな思いをすることにもなりかねない。その点、今回の親戚の葬儀には「ほっと」させられた。一方で、喪主が希望した「家族葬」をなぜしてやれなかったのか、疑問もわいた。それに関して気になる記事が、同紙に掲載されていた。
「母は『私の葬儀は自宅で、家族だけで見送ってほしい』と言いました。母が亡くなり、希望通り、家族や近親者約10人が家に集まり母を送りました。出棺は近所の人たちが見送ってくれました」(岸和田市の主婦 Kさん)と、父親の盛大な葬儀とは真逆で、母親の希望通りにした。
ところが、読経の最中にも、「何で教えてくれなかったの」という苦情の電話が鳴り止まない。近所からは、「この前の(父の)葬式と比べると質素でかわいそう」「えらい扱いだ。こんな目に遭わせて」という声。「母の遺言であることを告げても納得してもらえません」。翌日から、近所や母の友人宅を車で回ると、「友だちだってお別れを言いたい。それを遮るのはおかしい」といわれる。「父の時のほうがすっきりと心の整理ができ、家族葬の大変さを実感しました」といい、一方で「母の思い通りにしてあげられた充実感や、家族だけでしのぶことができた満足感もあります」とKさんは述懐している。(つづく)
<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。関連キーワード
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