【再録】積水ハウスの興亡史(5)
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「地面師詐欺」の余波を受け、会長と社長が解任動議を突きつけ合う泥沼の抗争劇を繰り広げる積水ハウス。かつてNet-IB NEWSでは、野口孫子氏の手になる同社の興亡を描いた連載記事を掲載した。積水ハウスへの注目が改めて集まっている今、2007年に掲載された記事を再録する(文中の人物、企業の業績などについてはすべて連載当時のもの)。
狂乱物価で建築資材は一挙40%、50%も暴騰していた。住宅は契約して、着工まで3カ月。そして着工、完成、引渡しまで3カ月かかる。この契約済みの価格を据え置くか、物価にスライドして買主に値上げをお願いするか決断せねばならなかった。契約通り引き渡せば赤字である。しかし、お客の立場になれば家は高額、収入に見合って購入に踏み切っているはずなので、余分な金はないだろうし、もし値上げを要求しても受け入れないだろう、と判断、既契約分は価格据置とした。赤字は覚悟したのだ。
ほか社の価格動向を見ると、概ね30%位の値上げをしていた。ここは、ほか社より値上げ幅を少なくし、売上を増やそう!と考えた。こんな狂乱物価は長く続かない、この狂乱の犯人は需要と供給の極端なバランスの崩れのはずだから今のうちに物を確保しようと必要でない量を要求、いわゆる仮需要に動かされ、供給不足に陥り価格が上がっている。
よく見ると、各メーカーの工場はフル稼働している。むしろ、供給は増え始めている。いずれ、正常に戻ると踏んだのだ。
田鍋は「新規契約分は15%アップ」と決めた。読みがはずれ、狂乱物価がおさまらなかったら、赤字の受注を抱え込む危険もあったのだ。そして、全社員に次のような檄をとばしたのである。
「こういう難局こそ、優勝劣敗の岐路であり、企業間格差の開く絶好のチャンスである。全社、一丸となって、この絶好のチャンスに挑もうではないか!社員1人ひとりが、その任務に向かって努力することである」
運命共同体と持論をもつ田鍋は、大暴風雨の中、決断を下したのである。
田鍋船長は船を近くの避難港へ入れ、嵐の去るのを待てという、消極的なものでなく、この嵐を追い風にして、ほか船を追い越せ、という積極的指示を行なった。田鍋の読み通り、1974年の春には物価は下がり始めたのである。この年7月の売り上げは増えたものの減益となったが、田鍋の決断で、小幅の値上げにとどめたことの効果が大きく寄与した。ほか社より安いということで、契約が大きく伸びたのである。
既契約分は据え置き、新規契約は小幅という、経営姿勢が世間に認められたのである。1975年1月の本決算では増収増益となった。そして、先発の大和ハウスを抜いて、ついに業界トップの座を獲得したのである。
この、田鍋が「危機」を「好機」に変えた事実は、石油の暴騰により世の中が混乱しかかっている今、こんな時こそ冷静さが必要、流れに付和雷同していてはチャンスが来ないと教えているように思える。
親会社、積水化学、子会社、積水ハウスが同じ住宅産業の分野で、競合し、さらに、同じ日窒グループの旭化成も加わって、それぞれが住宅事業の分野で、軌道に乗っているのは稀有な例だろう。プレハブ住宅の着工件数の半分が、現在ではこの日窒グループの3社で占めるまでに至っているのである。
1969年、積水化学の当時の社長小幡氏から田鍋に「技術屋を預かってほしい。建築の勉強をさせたい」と頼まれた。ユニット住宅を開発するという。一般のプレハブ住宅は骨組み、壁、床、の部材を工場生産し、現場で組み立てしながら、大工によって部屋を仕上げる工法であったのに対し、部屋ごとにユニット化して現場で組み立て、工期短縮になるということだった。田鍋は即答で社員を預かった。積水ハウスの前身と同じように、再び、積水化学の中に住宅事業部を作ったのである。積水化学は「セキスイハイム」と名付けて、1971年に、新製品を発表、本格的発売を開始したのである。ハイムも当初は代理店販売であった。積水化学の当時の住宅事業の担当専務が田鍋の積水化学時代の部下だったため、よく相談に来ていた。販売は直販がよいと話をしたら、直販に切り替え、プラスチックを売っていたほか部門から、多くの人材が住宅部門に投入された。1973年には軌道に乗り始め、今では、積水化学の売上の半分を占める最大の収益部門になっている。
旭化成はコンクリート系ALC「へーベル」を生産していた。1971年、田鍋の所に、旭化成の役員が「へーベル」を使った住宅を開発して、本格的に売り出したいと相談にやってきた。田鍋は「へーベル」は高いので、東京、大阪の大都会で販売したらどうか。また旭化成は大企業なので、住宅販売のような泥臭い仕事はこなせないだろう。大企業の労働条件では、夜打ち朝掛けのような販売は望めない。販売は別会社にしたほうがいいと助言した。結果、旭化成は旭ホームズを設立。今では全国展開し、業績も順調である。
この3社に共通しているのは、新しい分野に挑戦するパイオニア精神である。底流には日窒マンの何でもやろうという行動力があるということだろう。
それにしても、田鍋の器の大きさを感じさせる一コマであった。グループ、親会社が同じ業種の商品を開発、販売したいと相談に来る。当然シェアの食い合い、競争相手になるにもかかわらず、田鍋は快く相談を受け、アドバイスをしたのである。その先見の明が、今日の住宅業界における3社の繁栄を導いたのである。
(文中敬称略)
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