2024年11月24日( 日 )

震災復興が結んだ日本とネパールの新たな絆!(1)

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映画監督・東京情報大学総合情報学部教授 伊藤 敏朗 氏

 2015年4月25日にネパールを巨大地震(マグニチュード7.8)が襲った。世界はただちに救援の手を差し伸べ、日本からは国際緊急援助隊JDR(Japan Disaster Relief Team)が現地に派遣された。そこで、日本とネパールの人々の間に同じ震災国どうしの新たな絆が生まれた。
 こうした実話を基に、JDRの海外での活躍を初めて描いた復興支援映画が誕生した。主演・プロデューサーのガネス・マン・ラマ(Ganesh Man Lama)氏はJDRからの依頼で、現地コーディネーターとして奮闘し、JDRの足となる車両手配や支援物資の分配、住民との交渉など八面六臂の活躍をした人物である。その功績で、民間人で唯一、日本隊から感謝メダルを授与されている。
 4月に公開が迫る『カトマンズの約束』の映画監督・東京情報大学総合情報学部教授の伊藤敏朗氏に聞いた。伊藤監督のネパール入りは、先日のフライトで32回を超えた。

ネパール映画監督協会に外国人として唯一所属

 ――映画公開前の大変にお忙しい中、お時間を賜りありがとうございます。本日は今、大注目の映画『カトマンズの約束』の魅力をたっぷり語っていただきたいと思います。映画を制作された動機からお話いただけますか。

映画監督・東京情報大学総合情報学部教授 伊藤 敏朗 氏

 伊藤敏朗氏(以下、伊藤) まず経緯からお話した方がわかりやすいかもしれません。私はネパール映画に関しては、第1作『カタプタリ~風の村の伝説~』(中編劇映画、2007年)を監督、第2作でネパール文学最高峰の文芸大作『シリスコフル(邦題「カトマンズに散る花」』(2013年)を監督し、ネパール政府国家映画賞など数々の賞をいただきました。そして、第3作目は、前2作で主演・プロデューサーをつとめたガネス・マン・ラマ(Ganesh Man Lama)氏から『マイ・ラブ』というマサラ・ムービーを提案されました。

 マサラとは香辛料のことです。映画には、歌、踊り、ロマンス、アクション、道化の5つのスパイスをどれも欠いてはならないというセオリーに基づく、極めてインド・ネパール的な映画作法のことをいいます。このすべては「神への供物」になるという考え方に立っています。

 最初にこの話を聞いた時、正直言いますと、あまり気乗りがしませんでした。その理由は、シリアスな面をもつ前2作や、私のこれまでの作品と趣向が大きく違っていたからです。また、マサラ・ムービーは日本の映画監督にとっては未踏の地であり、すごくハードルが高いように感じました。

 一方で、私はネパール映画監督協会に唯一外国人として所属し、ネパール映画人の皆さまには、フレンドリーな意味で「伊藤はネパールの映画監督だ」と思って頂いています。このハードルを越えられなければ、名実ともに「ネパールの映画監督」にはなれないのではないかという心の葛藤もありました。そして、最終的に同意し、ポツ、ポツと(大学の春休みや夏休みなどを利用して)撮影をし始めた最中の2015年4月25日にネパールを巨大地震(マグニチュード7.8)が襲いました。

在日ネパール人の支援活動は見事な展開だった

カトマンズの約束

 もちろん映画製作は中断です。次に考えたのはお世話になったネパールの人に「今自分ができることは何か」ということでした。当初は、驚きと悲しみが襲い、すぐ現地に駆けつけたいと思いました。しかし、冷静に考えると、私はネパール語ができませんし、水・食料などの物資が不足している中で、やれることは少ないと判断、当面は日本での支援活動に専念することにしました。

 また、電話は通じなかったのですが、人づてに前2作で主演・プロデューサーをつとめたガネス・マン・ラマ(Ganesh Man Lama)氏が生きていることがわかり、ネパール現地のことは彼に任せることにしました。

 当時の在日ネパール人の支援活動は、日本在住の海外ネパール人協会(NRNA JAPAN)の会長であったヴァバン・ヴァッタ氏(現NRNA ICC会長)を中心に、映画にも現れているように、一糸乱れずに団結し、見事な展開を見せました。ハテマロ会(在日ネパール人とネパールを愛する日本人の会)との連携も見事でした。私は正直言いますと、これには驚きました。

 それは、ネパールは多民族、多宗教国家で、日本に来ても、民族や宗教が違うとちょっとしたことで行き違いが生じることがあって、「もっと皆仲良くしてほしい」と常日ごろ思っていたからです。当時は知り合いのネパール人から、「先生、大変なことになった。ネパールはもう終わりです」という電話が何本もかかってきて、彼らの動揺の大きさがよくわかりました。

 日本の東日本大震災の時もそうでしたが、大きな災害に遭遇すると、埋没した日常生活から解き放たれ、人間は生きる意味や絆の大切などにふと気づくのかも知れません。

(つづく)
【金木 亮憲】

NRNA:Non Resident Nepali Association 海外在住ネパール人協会
ヴァバン・ヴァッタ会長(TBIホールディングス取締役名誉会長・創業者)。外国で蓄積されたノウハウと資本を本国ネパールに還元し、ネパールの平和と繁栄、発展に貢献する目的で2003年に設立されたネパール政府公認の組織。海外出稼ぎ労働者から本国への年間外貨送金の総額が本国の国家予算を超え、政治力ももつ。

<プロフィール>
伊藤 敏朗(いとう・としあき)
 1957年大分市生まれ。現・東京情報大学総合情報学部教授(18年4月より、目白大学メディア学部特任教授に就任予定)日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了・博士(芸術学)ネパール映画監督協会に所属する唯一の外国人監督で、ネパール映画の第1人者。
 『カタプタリ~風の村の伝説~』(中編劇映画、2007年)でネパール政府国家映画賞を受賞。ネパール文学最高峰の文芸大作『シリスコフル(邦題「カトマンズに散る花」)』(2013年)で、ネパールデジタル映画祭批評家賞、ネパール政府国家映画撮影賞を受賞。著書は『ネパール映画の全貌‐その歴史と分析』(2011年、凱風社)など。

 
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