昨今M&A事情(1)~日本ペイント、シンガポールの会社に乗っ取られる(後)
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ウットラムは日本ペイントが育てた弟分だった
日本ペイント「歴史館」には3人の像が飾られている。1881(明治14)年に前身の「共同組合光明社」を創業した茂木重次郎翁の胸像。“中興の祖”小畑源之助翁の坐像。源之助翁の次男、小畑千秋翁の立像だ。
小畑千秋氏は戦後、シンガポールの華僑実業家と出会い、海外再進出の戦略拠点とした立役者だ。小畑氏は30代の半ば、シンガポールの実業家で、後に塗料大手ウットラムの創業者となるゴー・チェンリャン氏と出会った。2人は意気投合。62年、独立前のシンガポールに、ウットラムとの合弁会社「パン・マレーシア・ペイント・インダストリー」を設立した。
90年代に入ると、チェンチャン氏から事業を引き継いだ息子、ゴー・ハップジン氏が「これからは中国の時代だ」とアジア市場の本丸への進出を決意。ウットラムと日本ペイントの両社は92年、中国に合弁会社を設立した。
合弁会社を手に入れる見返りに出資比率を39%に高めることを認めた愚行
それにしても、なぜ名門日本ペイントがウットラムに乗っ取られるような失態を犯したのか。日本経済新聞電子版(18年3月26日付)の「本丸あけ渡した日本ペイント」の記事を読んで、唖然とした。大会社の経営者が、こんな甘い取引をするとは信じられなかった。
〈2013年1月、ゴーは出資比率を14%から45%に引き上げる提案をするが反発が大きく、2カ月足らずで取り下げることとなった。
だが、その1年後、ゴーの希望はほぼかなえられる。14年に日本ペイント社長(当時)の酒井(健二)が、そのほかの合弁8社の出資比率を51%引き上げる代わりに、日本ペイントの出資比率を14%から39%にすることを認めたのだ。
日本ペイントは目先の拡大を優先したとしか思えない。マイナー出資だった合弁8社を連結することで、売上高は2,600億円から5,300億円と倍近く増え、世界10位から4位に躍り出た。〉出資比率39%がどんな意味をもつか、経営者が知らないわけがない。売上倍増の魅力に目が眩んだとしか言いようがない。ゴー氏のほうが役者は数段上手。日本ペイントに合弁会社を譲って太らせたところで、日本ペイント本体を乗っ取ってしまったのだ。
ゴー氏は大株主という圧倒的な力で、株主提案を会社提案とすることを呑ませた。経営陣はなすすべもなく白旗を掲げた。
ゴー氏に乗っ取りを許した“A級戦犯”である酒井健二氏は5月1日に死去した。享年70歳。経営者として大甘な対応で、先輩たちが築き上げてきた日本ペイントをウットラムに乗っ取られたことは悔やんでも悔やみきれない憤死だったのだろう。
(了)
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