カンボジア地雷撤去キャンペーン、20周年を迎えて(5)
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(一財)カンボジア地雷撤去キャンペーン理事長
大谷 賢二 氏次に、日本の子どもたちの活動です。その中で、福岡県古賀市にある「舞の里小学校」の子どもたちは、私の授業を聞いた後、担任の本垣内教諭とともにアルミ缶の回収を始め、暑い夏も、寒さの冬も活動を続け、その活動は親たちの協力、そして地域の人たちの共感を呼び、コンビニや回収業者の人たちからも協力していただくようになりました。その結果、目標の1t以上のアルミ缶が集まり、それを売った資金をCMCに寄付してくれたのです。私は、その子たちの目の輝きの素晴らしさに心を打たれ、同時に先生たちがアルミ缶を潰して金色に塗り、頑張った子どもたちに、「金メダル」として1人ひとりの首にかけてある姿に感動しました。
頂いた資金で、これまで井戸を掘っても水が出なかったボップイ小学校に溜池をほり「舞の里アルミ缶ポンド」と名付けました。この溜池は今でも子どもたちや家畜の貴重な飲み水となっています。その子たちの卒業式に呼ばれて参加した時の事。卒業生と在校生の問で交わされる「呼びかけ」の中で、私との出会いや、アルミ缶の回収、CMCの学校の事などが語られ思わず涙がこぼれて来ました。卒業証書を受け取って退場していく子どもたちの名札にCMCのシールが貼ってあり、1人ひとり私の前を通る時、誇らしげに胸を張って出て行く姿を忘れる事が出来ません。
「舞の里小学校」の山本浩校長が移動され、本垣内教諭を「粕屋町立粕屋西小学校」に引っ張られてからは、「粕屋西小学校」で新たな活動が生まれました。私の授業で、カンボジアの子どもたちが小学校を卒業する前に家族を助けるために農業の手伝いを始めることを知り、自分たちも田植えから稲刈りまで実践し、出来たコメや、突いた餅を販売したお金をカンボジアに届けようというものでした。同時に子どもたちは金属類の回収も行い大きな資金となりました。これらの活動にも家族や地域の人々が共感し協力してくれています。
「粕屋西小学校」の活動は現在も継続しており、2014年に西日本国際財団より「アジアKids大賞」が授与されました。
また、3つ目は、第10次スタディツアーに参加後、東北事務局を引き受けて頂いた相庭博さんのことです。彼は当時流行っていた「ショッピングツアー」になぞらえCMCのスタディツアーを「ショッキングツアー」と呼び、行く先々で大きな衝撃を受けたと話してありました。そして自分でもできるならと山形県酒田市を拠点に「CMC東北事務局」を担っていただくことになりました。実はその時点で相庭さんの体は腎臓癌に蝕まれ、腎臓摘出後、肺への転移がわかり、再手術を受けられていたのでした。そして彼は次の第11次スタディツアーにも参加され、ツアーのある2月に再発した癌の手術を行う予定だったのを延期しての参加でした。
相庭さんのその後の活動には目を見張るものがありました。数え切れないほどの手術、放射線治療、免疫療法などを受けながら、病院を抜け出しては学校で授業をし、会場を探しては写真展を企画実施され、東北の多くの人にカンボジアや、地雷被害の実態を伝えていかれました。命を完全燃焼させての活動に感動をいただきながら、私の使命感は前へ前へと駆り立てられました。そして、ついに2010年8月4日、帰らぬ人となられたのです。私はその2日前にカンボジアから帰国し、カンボジアでの新しい中学校の建設が決まったことなどを報告するため、翌日にお電話しましたが、その時、相庭さんご本人が出られました。酸素マスクを外され、私の無事の帰国や事業の進み具合を喜んでおられましたが、途中で苦しいからと奥さまに代わられました。その翌日、容体が急変し、奥さまにみとられながら静かに息を引き取られたとのことでした。葬儀会場には、ご自身が撮影して来られたカンボジアの写真が展示され、私が送った弔花もそこに飾られていたそうです。そして遺影の前にはCMCの募金箱が置かれていて、いかにも相庭さん自身の最後の活動の場のようでした。
(つづく)
▼当日の講演の様子▼
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