2024年12月23日( 月 )

創業者から幹部、そして社員へ、新しい世代へと受け継がれる想いとは(前)

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(有)二鶴堂

倒産危機乗り越え、博多を代表する菓子店へ

 (有)二鶴堂は1950年7月、橋本富市氏が福岡県久留米市で菓子製造販売を目的とした「橋本屋」を創業したことにルーツをもつ。その後、福岡市の大名に進出。同市東中洲に拠点を移した52年12月、二鶴堂を設立した。

 現在は、橋本由紀子会長の下、真木聡社長が陣頭指揮を執り、福岡と佐賀の2工場体制で総勢143名の従業員が元気に働いている。主要な商品は、博多人形をモチーフとした名菓「博多の女(ひと)」を始め、「博多ぽてと」「博多バームスティック」など。新聞やテレビなどでもたびたび取り上げられるヒット商品を数多くもつ福岡県内屈指の土産菓子店である。順風満帆に見える同社であるが、これまでの歴史を振り返ると苦難の連続だった。

 社名の「二鶴」は、創業者の橋本富市氏と妻で名誉会長のツユ子氏夫婦の「ともに手を取り合い頑張っていこう」という夫婦鶴の意味が込められている。会社設立後は、栗饅頭、二鶴饅頭などの販売を手がけ、60年に発売した同社初の土産菓子「博多一番」が大ヒットした。これにともない本社や工場の移転に投資を行ったが、思惑通りには行かず過剰投資となり、次第に売上が減少。65年、1回目の不渡りを出し、あやうく倒産寸前の危機に直面した。だが、従業員から1年間無給で働くとの申し出があったこと、原料関係の取引先が1年間材料費の回収を猶予してくれたことなど、周囲の協力があり、2回目の不渡りを回避。難を免れた歴史がある。

 その後、富市氏は苦労をかけた社員や取引先に恩返しをしたいと考え、「ヒット商品の開発が先決」と考えた。そして72年8月、外装に美しい博多人形が描かれた「博多の女」が誕生する。洋菓子のバームクーヘンと和菓子の小豆羊羹を組み合わせた「和洋折衷の菓子」として注目を集める。その後、75年に東海道・山陽新幹線が博多駅に延伸されたのを機に大ヒットとなり、博多土産として定着する。

亡き名誉会長の想いを胸に一致団結へ

 「報恩感謝の心」。「博多の女」のヒットは、創業者の橋本富市氏が倒産を回避できた時に人の恩を感じ、感謝の心をもち、恩に報いようと思い続けたことに由来する。しかし、会社が成長軌道に乗るなかで、後継者である長男・橋本満徳氏が27年前(91年)に早世する不幸に見舞われた。その後、長女の橋本由紀子氏(現・会長)が2000年9月、社長に就任することになるのだが、女性社長が少なかった時代に社長に就いたことで、周囲から「女性が社長になるとすぐ潰れる」といった陰口を叩かれたりもしたそうだ。そのようななかで橋本会長の精神的な支柱となったのは、母親で名誉会長のツユ子氏だったという。経営上の重大な決断を下す際は、必ず意見をもらうほど全幅の信頼を寄せていた。15年10月、真木聡氏が新社長に就任後は、ツユ子名誉会長、橋本会長の新体制で、事業承継が進められた。

 しかし、ツユ子名誉会長が昨年6月に入院後、橋本会長は看病に専念し、経営を真木社長に任せることとなる。病床のツユ子氏を励まそうと、真木社長の呼びかけにより全社員で千羽鶴を折り回復を願った。ツユ子氏は一時は元気な姿を見せたものの、昨年10月5日に永眠。95歳の大往生だった。同月8日に社葬を行い、多くの人たちが別れを惜しんだ。

 創業者の想いは、今も同社の幹部や社員に引き継がれている。同社では、若手の精鋭と幹部が中心となる「次世代経営塾」を09年に開講。佐賀工場において、バームクーヘンの製造過程で出る切れ端をヒントに開発された「博多バームスティック」は、同塾の塾生だった丸内寛子氏(現・取締役佐賀工場長)のアイデア。塾生全員で商品パッケージや販売戦略などすべてを行い、10年9月に誕生、同塾の初作品となった。真木社長が塾長を務める同塾は、過去にマーケティング、営業戦略など、さまざまなテーマを学んだ。近年は時流をつかむため市場調査をテーマに、大手小売のPB商品の分析や、競合の研究といった調査会社さながらの学びの場をつくった。自由闊達な意見が溢れる同塾が、同社の風通しの良い企業風土の一端を成している。

(つづく)

<COMPANY INFORMATION>
代 表:橋本 由紀子
所在地:福岡市東区馬出6-15-21
設 立:1952年12月
資本金:4,100万円
TEL:092-621-8881
URL:https://www.nikakudou.co.jp

<プロフィール>
橋本 由紀子(はしもと・ゆきこ)
 72年に(有)二鶴堂に入社。社長を経て15年10月に代表取締役会長。

<プロフィール>
真木 聡(まき・さとし)
 統括部長を経て13年から副社長。15年10月に取締役社長に就任。

 
(後)

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