2024年12月25日( 水 )

若手が率いる100年企業~同族ではなく、生え抜き社員に経営のバトンを(後)

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有澤建設(株)

浸透する「お客さま目線」

 同社は部長に多くの権限を移譲している。まったく口出ししないというわけではないが、部長の意見を優先させている。基本的に営業・総務・工務・リニューアルの各部長、4人の意見を尊重するかたちだ。地場ゼネコンの経営者は工務出身者が多いが、木下代表はそうではない。中小企業の経営者がカリスマ性を武器にワンマンでやっていくのも悪くはない。創業して間もなくなら、それでもいいかもしれない。しかし、業歴100年の同社でも、木下代表は「とにかく有澤建設を『会社』にする」ことにこだわってきたという。もちろんこの場合の「会社」とは、形式的な意味ではない。組織として、機能している集団になっているかどうかである。社長がいなくなってしまったら、会社が回らなくなるような組織は会社ではない、と木下代表は言い切る。部長が権限をもてば、その下の社員も変化する。変わる人材は変わる。できる限りそんな社員を100%にもっていきたい。100に近づけば、会社として強くなれる、というのだ。

 権限委譲して、明らかに成長を感じる社員がいる。とくに工務だ。所長は一般的にはベテランが勤める。若い所長では、なかなか、お客さま目線に立つことができないのが悩みだった。今では、若い所長も顧客の意見を吸い上げてくれている。その部分が、施主や協力業者に評価されているという。

 有澤建設では、物件引き渡し後にアンケートを取っている。「提案をキッチリしてくれた」「要望をうまく取り入れてくれた」などアンケート結果もずいぶん高評価が増えてきた。なによりもアンケートの回答率が上がってきていることこそが満足度の向上だと感じている。「億単位の買い物をしてくれる施主に対し、造って終わりでいいのか。それは最低限の仕事。プラスアルファの感動が必要です。最後に『やっぱり有澤さんに頼んで良かった』といわれることが何よりもうれしい一言です」と、木下代表の笑顔がほころぶ。

完成形のない理想に向かう

 冒頭に述べたように、木下代表は社内の風通しについて、良くなってはいるがまだまだだと感じている。若い社員が多く、景気が良いときしか知らない社員もいる。景気が悪くなったときにも、慌てない社内風土をつくる。踏ん張れる社員を1人でも多く育てることが今の課題だ。20代、30代の社員がリタイアまで安心して働ける会社にするため、今レールを引いているのだ。ただ木下代表は年々、社内にいる時間が増えているという。昔は営業に出ていたが、あえて出ないようにしている。個々の社員が力を発揮していることの裏返しだ。会社全体の実力は上がっている。自信をもっていえる。

 木下代表の掲げる理想の会社像は単純明快だ。「プロパーで、新卒で入った社員を頑張って社長にすること」。地場では、とくに少ない。仮に1人でもそういう経営者が誕生すれば、次代にも同じバトンはつながる。「自分もいつかは社長になる!」と社員のモチベーションを維持できるはずだ。

 最後にこのページを読む就職希望者にアドバイスを贈ろう。それは、木下代表が採用面接で譲れないポイントだ。「思いがない人物は採用しない。いくら能力が高くても、思いが伝わってこない人材は取らないと決めている。数ある会社の中から、弊社を選んでくれたことには感謝する。採用した人間に対しても同じだ。縁あって入社した社員には、長く勤めてほしいと思う。しかし、もっと大きな建物、もっと違った建物を建てたいなど強い思いをもった人材なら、退社を引き止めたりはしない。どこからか、引き抜きを受けたとしても、弊社を認めてくれた故だ。有澤建設への思いというわけではない。自分への思いが強い人材が欲しい」。まだ40代と若い代表だが、会社経営には義理人情を重んじる。「何のために働くのか」、そんな根源的な疑問の答えがここでなら、見つかりそうだ。

(了)

<COMPANY INFORMATION>
代 表:木下 英資
所在地:福岡市博多区博多駅南4-4-12
設 立:1967年9月
資本金:9,000万円
TEL:092-433-1811
URL:http://www.arisawa.jp

<プロフィール>
木下 英資(きのした・えいすけ)
 1971年福岡県生まれ。95年に早稲田大学を卒業後、西日本旅客鉄道(株)(JR西日本)に入社。2001年、有澤建設(株)に取締役社長室長として入社。05年に常務取締役などを経て、10年代表取締役社長に就任した。

 
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