2024年11月14日( 木 )

昨今M&A事情(4)~熊谷組が住友林業にのみ込まれた!(前)

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 住宅メーカーが主戦場とする住宅市場の縮小が続いている。そのため、戸建やマンション建築から脱却し、高層マンションや商業施設など多角化を急いでいる。それらの建設は、ゼネコンの領域だ。住宅メーカーは競ってゼネコンの囲い込みに動いており、住友林業は準大手ゼネコンの熊谷組を傘下に組み入れた。

前人未踏の木造高層建築に挑む

 住友林業が2041年に木造の高さ350mの超高層ビル建設を目指す「W350計画」がいよいよ始まる。構想では、東京都心の丸の内エリアに地上70階建てのビルを建てる。内部は純木造の木鋼ハイブリッド構造。総工費は鉄骨づくりのおよそ2倍となる約6,000億円と試算した。
 昨年、資本提携した熊谷組が協力する。熊谷組は高さ500m超の台湾の超高層ビル「台北101」などを建てた実績がある。W350計画では、まず20年代前半に高さ70mの14階建ての木造ビルを建てる計画で、施工は熊谷組が担う。

 2017年11月9日、住宅メーカー大手の住友林業と準大手ゼネコンの熊谷組は業務・資本提携をすると発表した。両社は第三者割当増資などを実施し、住友林業が約346億円で熊谷組の発行済み株式の20%を取得。熊谷組は約100億円で住友林業の同2.85%をもつ。住友林業は、熊谷組を持ち分法適用会社にした。熊谷組を傘下に組み入れたのである。
 近年、住宅メーカーはゼネコンを次々と買収していったが、土木の名門、熊谷組までも吞み込まれたことに、ゼネコン業界が受けた衝撃は大きかった。

飛島組から独立した熊谷組と前田建設工業

 熊谷組は1898年に福井市で創業した土木業者。もともとは、飛島組(現・飛島建設)の傘下企業だったが、1938年に独立し、(株)熊谷組を設立した。飛島組から独立した企業に前田建設工業がある。熊谷組3代目社長・熊谷太一郎氏は、前田建設工業の2代目前田又兵衞(本名・正治)氏の娘と結婚して縁戚関係にある。
 熊谷組は戦後、黒部トンネル、青函トンネル、関門トンネルなどの最難関工事に携わり、業界では「トンネルの熊さん」と呼ばれた。

 1980年代が熊谷組の全盛時代だった。海外受注では日本の首位を独走する売上高1兆円をあげ、完成工事高、経常利益は上位5社に入っていた。しかし、英米豪の大規模不動産開発がバブル崩壊に直撃、海外資産・不動産投資が裏目に出て経営危機に陥った。
 2001年に誕生した小泉純一郎内閣は、都市銀行が抱える不良債権の処理を進めるため“危ないゼネコン”の再編・淘汰を求めた。問題ゼネコンは三井住友銀行がフジタと熊谷組、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)が佐藤工業、富士銀行(現・みずほ銀行)は飛島建設。フジタはゴールドマン・サックス系のファンドに売却され、佐藤工業は会社更生法を申請した。

 熊谷組は2度、飛島建設は3度にわたり、債務免除や債務の株式化などで、それぞれ7,500億円規模の金融支援を受けた。03年、銀行主導で熊谷組と飛島建設の経営統合が打ち出された。だが、メインバンクは熊谷組が三井住友銀行、飛島建設は第一勧銀、富士、興銀が統合して誕生したみずほコーポレート銀行。メインバンクの垣根を越えることができず、05年4月に予定していた合併は白紙に戻った。
 熊谷組は14年9月に優先株式をすべて処理し、バブル崩壊以来の経営再建に1つの区切りをつけた。業績が回復してきた熊谷組は住友林業のM&Aのターゲットになった。

(つづく)
【森村 和男】

 
(3・後)
(4・後)

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