昨今M&A事情(5)~シダックスがカラオケから撤退した事情(前)
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シダックスがカラオケボックスから撤退――。その報道を受けて、本業が給食事業だったことを初めて知った若い人は多いのではないか。シダックスはカラオケの代名詞であった。なぜ、売却するのか。そこには、カラオケ業界の厳しい現実が見えてくる。
カラオケ事業を「カラオケ館」のB&V社に売却
シダックス(株)(東京都調布市)は5月30日、「カラオケ館」などを運営する(株)B&V(東京都新宿区)と資本業務提携し、カラオケ事業を含む子会社を売却すると発表した。
シダックスにはカラオケ事業を運営する会社が2つある。1つは100%出資子会社のシダックス・コミュニティー(株)(SC社)。もう1つは、不採算店舗を集めた持分法適用会社(出資比率35%)のシダックストラベラーズコミュニティー(株)(STC社)。
シダックスは6月7日付で、B&V社にSC社株の81%を売却し、STC社を譲渡した。シダックスが有する2社合計の債権は199億円。株式・債権の譲渡価格は総額49億円。すでに積んでいる貸倒引当金の戻りを考慮しても、売却によって38億円の損失が発生する見込み。
子会社だったSC社は持分法適用会社になり、持分法適用会社のSTC社は連結から外れる。これにより、シダックスの業績の足を引っ張ってきたカラオケ事業から撤退する。ただし、「シダックス」の店名は残し、食事などの提供は続けるという。レストランカラオケで大当たり
シダックスはカラオケのイメージが強いが、祖業は社員食堂を手がける事業所給食だ。創業者は志太勤氏(82歳、現・シダックス取締役最高顧問)。静岡県生まれで、高校3年のとき、義兄から大衆食堂を譲り受けた。
1959年、東京・調布市で富士天然色写真(現・富士フイルムホールデイングス)の社員食堂、富士給食を始めたのが原点だ。当時は、高度成長時代で事業所や工場が全国各地に出現し、シダックスは社員食堂を請け負って急成長を遂げる。そんな時、郊外の工場の近くで、ラブホテルを改装したカラオケ店が大繁盛していることを知った。カラオケはスナックなどに置かれてブームだったが、80年代半ば、カラオケのみを専門的に提供するカラオケボックスという業態が誕生した。岡山県において船舶用コンテナを改造して設置したのが始まりとされる。90年代以降は、カラオケ専用ルームをつくるタイプが主流となった。
志太氏は91年、それまで運営していたファミレスを改装し、レストランカラオケの実験店をオープン。手応えは十分。93年にレストランとカラオケボックスを一体化したレストランカラオケ事業を展開するSC社を設立、多店舗展開に乗り出した。カラオケボックスは学生のコンパやサラリーマンなどの懇親会の2次会の会場によく利用され大繁盛した。2001年4月、ジャスダックに上場。事業が軌道に乗ったことから、高校球児であった勤氏は大好きな野球に入れ込む。02年、プロ野球の南海、ヤクルト、阪神で監督を務めた野村克也氏をシダックス野球部のGM兼監督に招いて球界を驚かせた。
ピーク時には全国に300店舗以上(1万6,000ルーム)を展開。2008年3月期の売上高は630億円、セグメント営業利益71億円をあげた。全社の売上高(2,260億円)の3割弱、営業利益(112億円)の6割を叩き出した。シダックスはカラオケ業界の断トツの首位だった。
勤氏は97年に社長を長男の勤一氏に譲り、会長となっていたが、12年6月、取締役最高顧問に退いた。志太勤一氏(60)が会長兼社長に就いた。(つづく)
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