2024年11月14日( 木 )

中内ダイエーなくして、福岡がここまで発展することはなかった(8)~日本初の開閉式ドーム

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地元へのドーム建設効果は年間630億円

 1989(平成元)年9月26日の新聞には、「年間630億円、地元の懐に」と題した記事が掲載されている。それによると、「福岡市議会第三委員会(三苫良典委員長)で友池一寛助役は、ドームシティ建設にともなうものが4,480億円、オープン(92年予定)以降、入場者らが落とす飲食、ショッピング代などの運用効果が年間630億円見込まれるなど、初めて波及効果を明らかにした」とある。

 これは、福岡市が民間のシンクタンクに依頼して試算したものだが、ダイエーの直接投資2,600億円以外に、資材調達費や作業員が福岡市内で消費する金額を含めると、4,880億円の経済波及効果が見込めるとの試算がされている。また、建設に関わる作業員など3万9,000人が関わり、サービス業を中心に8,000人の雇用が生まれるとしている。

東京ドームとの差別化図る「開閉式ドーム」

 計画が進められるなかで89年12月、ダイエー側は計画の変更を発表。当初のツインドームシティ計画では、スポーツドームとアミューズメントドームに挟まれるかたちで高層ホテルの建設を計画していたが、ホテル部分を分離することを明らかにした。ツインドーム利用者に限らず多くの人に利用してもらうためには、ホテルを全体の中心に置く当初の計画よりも、分離するほうが適当であるとの判断だ。

 ツインドームシティ計画が進むなか、第1期工事としてスポーツドームに注目が集まる。このスポーツドームは、日本のドーム球場としては88年に完成した東京ドーム(ビッグエッグ)についで2番目となるもの。当然ながら、東京ドームと同じものをつくっても二番煎じに過ぎず、注目度は低くなる。注目度が低ければ、話題に上る機会も減り、人を呼び込むには力不足となる。
 そのため、東京ドームといかに差別化を図れるかが、1つのポイントだった。そこで採用されたのが、晴天の日には青空の下でのプレーが観戦できる「開閉式屋根」というドーム構造。この開閉式屋根をもったドームは、今なお日本のセ・パ12球団の本拠地のなかで、唯一無二の存在感を示している。

モノレール形式の新交通システムを提案

 福岡ダイエー・リアル・エステートは、福岡市に対して新交通システム構想も提案していた。ルートは、地下鉄唐人町駅から博多湾に向かって北上し、ツインドームシティ、IT関連企業などが集積する福岡ソフトリサーチパークを通り、福岡タワーに至る全長2.5kmを、モノレール形式の交通システムで結ぼうという構想。この区間に6カ所の駅をつくり、年間600万人の足として利用してもらおうというものだ。福岡ダイエー・リアル・エステートによると、年間600万人のうち、半分の300万人はツインドームシティの利用客だと試算。シーサイドももちの交通渋滞の緩和や周辺地域の交通利便性の向上、地下鉄の利用客増などを目的としたものであった。

 この計画に対して福岡市は、「ダイエー側の権限外の土地を通るなどルートに問題があり、適当でない」と結論付け、ダイエー側に差し戻したため、実現には至らなかった。
 福岡市の見解はもっともであるが、実現していれば、シーサイドももちの住民や企業にとっての利便性が向上したことだろうし、野球の試合やコンサートなどのイベント開催時の駐車場不足や渋滞解消に、大いに寄与したのではないかと思われる。

ドーム愛称への応募2万2,000通

 日本中の注目を集めるなか、ツインドームシティ計画が進行するに従い、次第に内容が明らかになっていく。90年10月には、スポーツドームとホテルの概要がみえてきた。
 スポーツドームは直系200m、高さ80m、収容人数は最大5万2,000人。ホテルは西日本最大規模の1,000~1,200室を備えた、リゾート性を加味した国際コンベンションホテルを目指すというものだった。

 91年3月には、ドームの愛称が「福岡ドーム」に決定。福岡ダイエー・リアル・エステートがスポーツドームの愛称を公募したところ、約2万2,000通の応募があり、「ダイエードーム」「オレンジドーム」など約1,200種の候補が寄せられたという。これだけでも、市民の関心の高さがうかがえようというものだった。

1回の屋根の開閉に100万円

 さらに93年4月、福岡ドームを象徴する開閉式屋根についての情報が出された。ドームの屋根は直径約213m。3枚の金属板を組み合わせスライドさせることで、開閉する仕組みである。国内初の開閉式屋根とするために、高価なチタンを使うなど、軽量化に努めた。それでも、屋根の重さは1枚約4,000t、3枚で合計1万2,000tもの重量になる。これはジャンボジェット機40機分に相当するが、開閉にかかる時間はわずか20分。一方で、1回の開閉にかかる電気代などの経費は100万円以上かかるという発表に、地元の福岡市民だけでなく、国民が目を丸くした。こうしてドームへの期待感は、いやがうえにも高まっていった。

 ついに福岡ドームが完成し、93年4月2日にグランドオープンを迎えた。その直後の4月17日には、福岡ドーム初となるプロ野球公式戦、ダイエーホークス対近鉄バファローズの1回戦が開催され、国内初の開閉式ドームを一目見ようと、福岡の野球ファンだけでなく、遠方からも客が押し寄せ、スタジアムには4万8,000人が詰めかけた。

 中内氏が思い描いた球団と球場の一体経営が、こうして現実のものとなっていった。

今も日本を代表するドーム球場

 福岡ドームは、日本初の開閉式屋根を採用したもので、東京ドームが開業した翌89年5月に完成したカナダのスカイドーム(現在はロジャース・センター)に次いで、世界で2番目の開閉式ドームとして大きな注目を集めた。
 その規模は、最大収容人数では東京ドームの5万6,000人に次ぐ5万2,000人、容積は東京ドームの約1.4倍を誇る、巨大な施設であった。

 福岡ドームの完成後、97年には大阪ドームとナゴヤドームが、99年には西武ドーム、01年には札幌ドームが完成し、現在、国内のドーム式球場は6カ所が運営されている。
 そのなかで福岡ドーム(現・ヤフオクドーム)は、規模においても日本を代表するものであるし、日本で唯一の開閉式ドームとして、開業から25年を経た今でも輝きを失ってはいない。

 施設面でも工夫を凝らした。特徴的なのが、プライベートルームとなる216室の「スーパーボックス」。スーパーボックスには、各部屋にテレビや電話、冷蔵庫を備え、ルームサービスも提供するという、まさにホテルの一室さながらのしつらえである。また、ドーム内側に面したバルコニーも付いており、ここに出ると球場内を高い位置から一望でき、一般の観覧客と同じように野球を楽しみ、応援することができる。企業が大切な取引先を招いたり、従業員の福利厚生として使用したり、仲間内で集まってパーティーを楽しみながら野球観戦したりできる、特別な空間だ。
 また、4階外野席沿いには、野球を見ながら飲食を楽しめる「スポーツバー」を開設。長さ180mのバーカウンターも話題を呼んだ。

(つづく)

【宇野 秀史】

 
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