中内ダイエーなくして、福岡がここまで発展することはなかった(9)~球団と球場の一体経営
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1,000室超の高層ホテルも完成
1995(平成7)年、第2期事業と位置付けていた地上36階、地下2階、客室1,000室超を備えた高さ143mの高層ホテル「シーホークホテル&リゾート」が完成した。桑原市長と中内氏が目指したアジアの拠点都市福岡にふさわしい、コンベンション機能も備えたリゾートホテルである。
ホテルの外観は、海に向かって漕ぎ出す船をイメージさせる斬新なデザインで、建物内部は1~3階が宴会・婚礼施設、4~6階がメインロビーやアトリウム、ショッピングアーケード、メンバーズクラブおよびホテル直営の各料飲施設で、客室はフロアごとにアジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、オセアニアという世界5大陸をイメージした内装が施された。ダイエーはツインドームシティ計画を打ち出した当初、スポーツドームとアミューズメントドームという2つのドームをつくるとしていた。計画通り、スポーツドームとホテルは完成した。
しかし、バブル崩壊後の景気の低迷や95年に起きた阪神淡路大震災によって受けた被害などが経営を圧迫、ダイエーは経営不振に陥った。そのため、第3期に予定していたアミューズメントドームの計画は、見直しを余儀なくされた。結局、アミューズメントドームの代わりにショッピングモールを整備することとなり、「ホークスタウンモール」として2000年春にオープン。ドーム、ホテル、ショッピングモールを総称して、「ホークスタウン」と呼んだ。
こうして、シーサイドももちで進めてきたツインドームシティ計画は、一部変更はあったものの、ついに完了へと至った。球団と球場の一体経営にこだわる
元来、球団と球場との一体経営は、難しいものとされていた。球団経営だけでも莫大な金がいる。当時、日本のプロ野球の球団は、ほとんどが関東や関西に集中していた。今でこそ、日本ハムファイターズが札幌、楽天イーグルスが仙台を本拠地とするようになったが、東京や大阪などの大都市圏から離れれば離れるほど、商圏人口は少なくなり、観客動員数に影響をおよぼす。また、対戦の半分はホームで開催するが、残りは相手チームの本拠地まで出向くことになるため、どうしても移動費がかさむ。経営の面から考えると、マイナスである。
そのため、ドーム建設には役員が皆反対した。それを中内オーナーは押し切った。しかも、東京ドームのような固定された屋根のドームではなく、日本初となる開閉式のドームである。開閉のための機構を取り入れるだけで、屋根を軽くするために高価なチタンの採用が必要となるなど、コストがかさむ。建設費も東京ドームの350億円の倍以上となる760億円を投じることになる。
ダイエーはこれまで、本業のスーパーマーケットやショッピングセンターを始め、神戸オリエンタルホテルなどを経営してきたが、球場と球団の経営となると、未知の分野であった。外部コンサルタントも開閉式ではなく、東京ドームのようなエアドームへの変更を支持した。エアドームは、ドームの内圧を外気圧より高くすることで風船のようにふくらませドーム状にしたものである。柱を用いないため、建設費を安く抑えることができるメリットがある。役員が反対するのも当然といえる。
また、球団は所有するにしても、球場は借りた方が経営の負担にならない。ホームで野球が開催されるのは、年間70試合程度。ほかの日は、イベントがなくても電気代や人件費などの維持管理費がかかる。球場使用料を支払い、試合開催日など必要なときにだけ借りれば、負担は軽減される。観客を動員するための人員やコストもかからない。まして、球場を維持管理するコストも必要ない。当時、パ・リーグでは観客動員が低迷する時期が続いていたため、借りるという選択肢を役員が優先しようとするのも当然かもしれない。
しかし中内オーナーは、あくまでも球団と球場は一体だと考えていた。球団と球場、それにホテルを一体経営することにこそ意味があると考えていたのではないか。とくに日本初となる開閉式ドームの建設である。希代の名事業家だからこそできる判断であろう。単なる数字だけではない、ロマンを求めたところもあった。
一体経営の可能性を見通していた
ただし中内氏は、ロマンチストでありながら、周到な準備も並行して進めている。開閉式ドームという日本には存在しないドーム建設に莫大な資金を投じるのだから、経営者としては裏付けがほしい。そこで、中内オーナーは、スタッフをトロントのスカイドームの視察に派遣した。スタッフは、実際にスカイドームの屋根が開いた状態での野球観戦や屋根を閉じる際の観客の反応などを体感し、運営方法などについても学んだようだ。帰国した彼らの体験や計画などを聞いた中内オーナーは、ドーム球場運営に手ごたえを感じたに違いない。
球団経営に乗り出した当初は、ホークスの成績が振るわなかったこともあり、観客動員数も思うように伸びず、赤字が続いた。しかし、ホークスが優勝争いに絡む常勝チームへと育ち、観客動員数もパ・リーグでダントツの数字を上げるようになると、球団と球場の一体経営が相乗効果を発揮するようになる。
この中内氏の思いを実現したのが、高塚氏だった。同氏の功績については後述するが、観客が多ければ、選手のやる気も高まる。やる気が高まれば、当然ながら勝率も上がる。それを膨大なデータから読み解いたのが、高塚氏だった。チームが強くなれば、球場に足を運ぶ人の数も増える。人が増えれば、飲食などの物販の売上も上がる。また、球場を所有すれば、所属選手の名前を入れた弁当やキャラクターグッズなどの販売など、球団色を前面に押し出した展開もできる。訪れる観客にとっても、自前か借り物かでは、居心地も違うだろう。一体感を演出しやすいのは、自ずと自前の球場ということになる。
近年の球団は一体化を推進
収入面でも、入場料に加えてグッズや飲食の売上、広告料などの収入が見込めるうえ、イベントを誘致できれば、使用料収入などのより大きな収入が見込めるようになる。自前で球場をもつことで、自由度の高い経営ができるようになることは、大きな魅力といえる。
最近では、横浜DeNAベイスターズも横浜スタジアムという専用球場を所有。オリックス・バファローズは、06年に大阪ドーム(現・京セラドーム大阪)を買収し、グループ会社の大阪シティドームが球場を経営している。
日本ハムファイターズも、ホームグラウンドとしてきた札幌ドームを出て、道内の北広島市に自前の球場を建設する計画を打ち出した。札幌ドームは、札幌市が所有し、市の第三セクターが運営する多目的施設で、球団は、運営会社に賃料を支払う。ファイターズは、04年に札幌に移転して以来、4回のリーグ優勝と2回の日本一など華々しい成績を上げている。観客動員数も16年には207万人と200万人を突破、翌17年には208万人を動員している。しかし、使用料の高さや自由に運営できる環境を求めて、新たな球場建設に踏み切ったのだ。ホークスタウンはボールパークの先駆け
近年のプロ野球界の球団経営に関する動きを見ていると、約30年も前に中内氏が決断した球団と球場との一体経営が間違っていなかったことが、ここにきて証明されたといっても過言ではあるまい。
さらに、近年の球場は米国流「ボールパーク」化へと進化しようとしている。ボールパークとは、球場周辺に商業施設などを併設し、エンターテインメント性を高めた街と球場が一体化したような空間のこと。近年のアメリカでは、スタジアムよりもボールパークとして市民に親しまれているという。日本の球場も今後、そうしたボールパーク化が加速するものと思われる。
福岡ダイエーホークスを引き継ぎ、ドーム球場も自前で経営する福岡ソフトバンクホークスも、19年に福岡移転30年を迎えるのを機に「FUKUOKA超・ボールパーク宣言」を発信している。今後、ドームに併設するエンターテインメント性の高いビルの建設のほか、ヤフオクドームの改修などに着手する計画だ。
ホークスタウンは、当初から1,000室を有する大型ホテルや映画館、飲食店、さまざまな小売店などで構成されており、まさに日本におけるボールパークの先駆けといえる。それを30年近く前につくったことになるわけだから、中内氏の先見性には改めて驚かされる。稀代の経営者であり、大いなるロマンチストだからこそできた決断だったのだといえよう。
(つづく)
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