北洋建設総帥・脇山章治氏の次なる戦略は?(6)
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(株)九州みらい建設グループとは(1)
5社合算183億円也
まずは九州みらい建設グループの旗上げアピールの資料を参照されたし。グループホールディングスの役割を(株)九州みらい建設グループと(株)KCFG情報サービスの2社が担う。その傘下に(株)北洋建設、松島建設工業(株)、扶桑建設(株)、三ツ矢建設(株)、西釜建設(株)の5社がぶら下がる。5社合算の完工高183億円である。まずは北洋建設以外の4社を紹介していこう。
北洋建設への忠誠心と貢献度の高い長崎地場ゼネコン
松島建設工業(株)
松島炭鉱がルーツ
松島建設工業(株)は、九州最後の鉱山として閉山した松島炭鉱(株)(1913年1月設立、現・三井松島産業(株))の土木課が発祥。68年3月に三井松島産業の子会社として新たに設立された長崎地場の総合建設業である。同社の営業拠点は、本社の長崎市と西海市に営業所を構える。経営理念における社是は、『社内の融和、技術の向上、原価意識の高揚』を掲げている。
同社の事業構成は、95%以上が建築工事で、残り約5%が土木工事。工事の受注先は、民間の元請が約68%、官公庁が約20%、下請が約12%の割合である。近年の完成工事の実績を見ると、長崎県および長崎市、西海市、そして(株)北洋建設およびその関連会社からの受注が際立っていることがわかる。同社は、営業拠点のない福岡・佐賀および熊本県下のビル、店舗、コンビニエンスストアなどの新築工事やマンションの改修工事を、北洋建設およびその関連会社より受注している。その受注高は、毎期流動的ながら約1~3億円台で推移し、同社の完工高の約10~30%のシェアを占めている。無借金経営を継続
同社の2014年10月期の売上高は、10億5,813万円で前期比104.74%。直近5期は10~11億円台の売上高で推移しており、今期15年10月期において3億2,792万円の繰越工事を有している。受注高は、毎期10~12億円の間で推移しており、比較的安定した受注体制を敷いていると言えよう。財務面においては、14年10月期の純利益率1.15%と高い水準ではないものの、一定の利益を毎期確保している。一方で、無借金経営を継続している。そのため、財務の安全性は極めて高い。自己資本比率は55.66%であり、同社の財務体質は健全で強固な体質を維持していることがわかる。
同社の周辺について取引関連の各社に取材を行ったところ、「北洋建設さんのグループですね」「松島建設工業さんが自ら、“北洋建設です”と表明するケースもあります」という声が圧倒的で、地元長崎でも北洋建設の傘下という認識が顕在している。本社があるビル(不動産所有の名義は、北洋建設の関連会社(株)ダブリュコーポレーション)内に、北洋建設の長崎支店があり、両社との関係は深い。同社にとって、北洋建設とその関連会社の存在は不可欠なもので、北洋建設なくしては経営マネジメントが厳しくなることは明白である。前述通り、同社の完工高のうち10~30%を北洋建設とその関連会社の受注に依存しているからだ。その工事は、長崎県外がほとんどである。同社が北洋建設とその関連会社からの受注に頼らず、長崎県内だけで現在の業績規模を維持することは、極めて困難であろう。なぜなら、県内同業他社のなかで同社は、技術力など際立った競合優位性は見られず、強力な営業部隊の存在も聞かれないからである。今後も北洋建設に対して、忠誠を尽くしていく姿勢に変わりはないと予想される。
<COMPANY INFORMATION>
代 表:濱﨑 雅夫
所在地:長崎市万才町1-1
設 立:1968年3月
資本金:9,800万円
売上高:(14/10)10億8,213万円
銀行主導により、再建へメド、残された「負の遺産と不安要素」
三ツ矢建設(株)
地場有力ゼネコンから一転
1971年1月に創業者の宮崎龍造氏が、旧三ツ矢建設(株)(現・(株)OMK)を設立。その後、事業拡大とともに関連会社が設立され、建築民間工事を主軸に事業基盤を構築。最盛期の97年7月期には約57億円の売上高を計上し、地場トップクラスのゼネコンとして、知名度を確立していた。
ところが、2006年に多額の資金を投入した「もやいの丘」の運営に失敗し、不動産投資が負債となった。07年、三ツ矢建設での有利子負債は13億円程度となっていたが、グループでの借入総額は20億円超とも言われている。同年4月、(株)ふくおかフィナンシャルグループ設立により、福岡銀行が熊本ファミリー銀行へ本格参入。融資の締め付けが厳しくなったことで、取引企業のなかには、取引を中止する企業まで見受けられた。実際に銀行指導で代表の個人資産を売却させられ、「もやいの丘」も売却。ファミリー銀行からの新規融資は厳しいと判断され、他行もメイン行に追随。資金繰りにおいては不安要素を大いに抱えていた。北洋建設の支援を受け、再建
そこで、福岡銀行主導により、(株)北洋建設に支援を要請。負債の処理、役員出向などで経営の立て直しを図ったとみられる。旧三ツ矢建設に負の遺産を残し、(株)SMKを新設し、事業継承。商号を変更し、新三ツ矢建設が13年2月に設立された。一時は北洋建設の脇山会長が株式を保有していたとされ、北洋建設から出向した八本敏郎氏が経営の舵取りを行い、対外的な信用を回復。資金調達や取引先との交渉も有利に進められていたと言われるが、現在株式は宮崎一族が保有。経営権も宮崎代表が持っており、再建前の状態に戻っている。
本社不動産は北洋建設の関連会社である(株)ダブリュコーポレーション名義。13年5月にダブリュコーポレーションに売却され、同社が賃料を支払うかたちで入居。自社所有の不動産はない。残された不安要素
旧三ツ矢建設時と事業内容は大きく変わらない。民間の建築工事を主体に、公共工事とわずかに下請工事を手がけている。店舗、事務所や医療施設、介護施設の建築が目立ち、戸建建築はわずか。北洋建設グループからの受注は見られない。決算期の変更もあり、14年9月期の売上高は5億3,444万円に留まったが、わずかに黒字を確保している。15年9月期の手持ち工事が約13億円あり、受注状況は良好であると言える。北洋建設の後ろ盾により、対外的な信用は得られているようだが、経営陣は旧三ツ矢時に戻っていることから、再生が可能か疑問は残る。財務リストラが進み、実質無借金経営だが、旧三ツ矢建設には負債が残されているとみられている。北洋建設の傘下に入り、完全な立て直しを図ってから、経営権の移譲を行うべきだったのではないか。「三ツ矢の名前を守りたい」という、経営者の強い思いがあったのかもしれない。この行為が同社の先行きをどのように左右するのか、注目したい。
<COMPANY INFORMATION>
代 表:宮崎 康輝
所在地:熊本市中央区神水2-12-11
設 立:2013年2月
資本金:9,000万円
売上高:(14/9)5億3,444万円
(つづく)
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