神の怒り、自然の破壊力に~慢心人間無力(2)
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神の怒り、自然の破壊力の発動は度々
熊本地区では人間が忘れた頃に、定期的に自然の破壊力・地震に襲われることがたびたびあった。記録に残る近いところでは1889年の熊本地震がある。
その12年前、西南戦争が起きた。西郷ドン軍隊は熊本城を攻めたが、攻略できなかった。この攻防戦で過度に時間をロスしたことで新政府に反撃体制を整えるの余裕を与えた。これが西郷ドン軍の敗北の原因と言われている。城造りの名人・加藤清正公の技術力がいかんなく発揮されたエピソードである。しかし、地震という自然破壊力には清正公も太刀打ちできなかった。1889年地震でも今回の地震でも熊本城に被害がでた。歴史古文書に残されたものでは1600年初頭にも凶暴な地震があったそうだ。この地震は京都まで揺れが達した激震だったと語られている。現世で生きている者は被害に遭遇しないと過去の地震の歴史を知ろうとはしない。「熊本地区が震災の巣窟」であることを、体験して初めて思い知った。
では一体、今回の地震の強さは一体、どの程度のものであったのか。阪神・淡路大震災、関東大震災などの比較をしてみた。資料を参照されたし。通常の表現でいえば14日の夜の強さは震度6弱、16日夜中は震度6強と言われている。14日の夜と16日の夜中の打撃力は倍以上あったと理解して間違いはないであろう。前編で【15日と16日天国と地獄】の様相をレポートした通りである。
地震の規模を表す単位はいろいろあるが、16日の本震はマグニチュード(M)7.3だ。防災科学技術研究所(茨城県つくば市)の調べによると最大加速度1,580ガルと発表された。この加速度単位で比較すると1995年の阪神淡路島大震災は891ガルとなる。そうなると今回の熊本地震の打撃力は倍ということになる。他のデータにおいても熊本地震が阪神淡路島大震災をはるかに凌ぐ激烈な地震であったことは証明されている。
マンション居住者はみんな被害者
構造設計者の業界では常識用語を紹介しよう。「震度6弱で被害がでるマンションは業者の責任、震度6強から7では破損するのは当然」と語れている。破損することで倒壊を食い止める防衛策が潜めてあるという。となると震度6強に襲われた熊本市のマンションの大半に被害がでたということになる。倒壊や倒壊寸前という被害の深刻度合い程度は設計、施工の出来不出来に左右される。
ここで強調したいのは熊本市及び周辺でのマンション生活所帯のすべてに大小の被害がでたということだ。小は100万円の修理で済む所帯から大はあらためてマンションを新規購入するための3,000万円の出費を余儀なくされる苦しい所帯もあるということだ。「マンションには住みたくない」という層も出現するだろう。少なくとも熊本では今年いっぱいはマンションの販売不振は続くであろう。
18日弊社の記者が、あるマンションの一室を覗いた。室内は荒れ放題で壁にはひび割れも目立っていたそうだ。ガス・水の供給はストップしていたとか。「日常の生活に戻るには時間と金が相当かかる」と報告受けた。一番の被害者はこのマンション所帯ではなかろうか。数も半端ではない。神の怒り、自然の破壊力・地震が起きれば人間の日常生活なんか木端微塵にされる、虚しいことを思い知らされたであろう。
(つづく)
資料:阪神・淡路大震災
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分、明石海峡を震源地とするマグニチュード7.3の直下型地震によって明石市、神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市など阪神間の各都市(兵庫県の沿海部とその周辺地域)、および淡路島北部が最大震度7の激しい揺れに襲われた。死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792人、家屋の全半壊24万軒(世帯としては約44万世帯)。地震による火災での全半焼約6,200軒超。断層沿いに被害が集中して被災地域が狭かったものの、冬季の早朝に発生し自宅で就寝中の者が多かったため、死者の80%相当、約5,000人は木造家屋が倒壊し、家屋の下敷きになって即死した。関東大震災
1923年(大正12年)9月1日午前11時58分44秒、相模湾で起こった大地震(関東地震)による災害。この地震のマグニチュードは7.9。震央は相模湾の北西部。家屋倒壊率の高かった地域は湘南地方、三浦半島、房総半島南部であるが、震災は東京を中心に千葉、埼玉、静岡、山梨、茨城、長野、栃木、群馬の各県に及んだ。
東京市(15区)における住家全潰はおよそ1.2万棟であったのに対し、焼失は約22万棟で、焼失面積は市域総面積の44%に及んだ。死者の総数約6.9万人の95%は火災によるものであり、横浜市における被害は、住家全潰がおよそ1.6万戸、焼失が6.3万戸で、市域の26%が焼失した。横須賀市では4,700戸が全焼した。熊本地震(1889年)
1889年(明治22年)7月28日23時45分に発生した、熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード6.3の直下型地震。この地震では、熊本市周辺で被害が発生し、20人が死亡、数百棟が全半壊し、熊本城も大きな被害を受けた。金峰山南東麓附近を震源としたことから、金峰山地震とも言われている。現在でいえば、熊本市北東部付近を分岐点に西南西方向へ延びる布田川断層での地震だったようだ。当時の記述によると、余震は一週間ほどたっても起こり、熊本城の石垣などが崩落した様子が分かる。(五野保萬日記)。また国立科学博物館のホームページには、当時の被害の写真がアップされ、城関連の被害や民家の被害状況、地割れなど、今テレビで見ている「平成28年」そっくりな場面を見ることができる。
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