2024年12月24日( 火 )

ヘルシンキ直行便の光を絶やすな!(1)

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アムステルダム直行便廃止は福岡の恥

 「アジアの玄関口」を標榜してきた福岡としてはオランダ直行便が途切れたのは真っ赤な恥であった。しかし、幸いなことに5月からフィンランドを本拠地とする航空会社・フィンエアーが10月まで夏季定期便としてヘルシンキと福岡を結ぶ便を就航させた。二度と赤っ恥をかかないために今回、福岡商工会議所・福岡経済同友会・福岡空港利活用推進協議会の三者で「フィンランド・バルト諸国視察団」を組織して訪問した。この最前線レポートをお送りする。

九州と欧州をつなぐフィンエアー

 フィンランドを本拠地とする航空会社・フィンエアーが2016年5月、フィンランドの首都ヘルシンキと福岡を結ぶ便を就航させた。10月まで夏期定期便として運航する。同路線はフィンエアー初の九州定期路線、さらには九州から唯一の欧州便として、AY076便(福岡9:30発/ヘルシンキ13:55着)を水・金・日曜日の週3便、AY075便(ヘルシンキ16:30発/福岡翌08:00着)を火・木・土曜日の週3便運航している。座席数は263で、約9時間半で両空港を結ぶ。また、ヘルシンキから北欧、ロシア、バルト諸国をはじめ、東欧、中欧など60都市以上のヨーロッパ地域にスムーズな乗り継ぎが可能となっている。
 日本政府観光局(JNTO)のデータによると、過去数年にわたってフィンランドからの訪日数、フィンランドへの日本人出国数ともに、増え続けている。フィンランドといえば、アニメとしてお馴染みの『ムーミン』や、マリメッコやイッタラなどの北欧雑貨などが日本の若い女性に人気で注目も高まっている。
 レジャーでもビジネスでも九州からの渡航が増えることが期待されており、初年度は2016年10月までの約5カ月間で約1万4,000人(双方向)の利用者を見込むという。

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 フィンエアーが同路線の開設にあたり開いた記者会見(15年10月・福岡市内)では、福岡県としては福岡、九州からのアウトバウンドを増やすために日本旅行業協会(JATA)や福岡商工会議所ら関係機関と連携して、観光、ビジネスの両面で需要喚起を図っていく姿勢を示した。また、14年にヨーロッパからの訪日客が100万人を超えたことを踏まえて、インバウンドについても意欲を見せ、日本政府観光局(JNTO)の協力を得つつ、同路線を活用した九州プロモーションをヨーロッパで展開する。

フィンエアーの歩み

1923年:11月1日設立
1972年:全てのフライトに禁煙席設置
1983年:4月、成田便就航。日本とヨーロッパを結ぶ世界初のノンストップ便
1991年:北極上空ルートよりシベリア上空ルートに変更 。成田-ヨーロッパ間最短最速の直行便となる
1995年:関空-ヘルシンキ直行便就航。ムーミンとサンタクロース特別塗装機季節運航開始
1999年:航空アライアンスoneworldに加盟
2005年:関空増便、成田と併せて夏期はデイリー運航
2006年:名古屋-ヘルシンキ直行便就航。成田路線、週4便に増便
2007年:関空線週7便、名古屋線週4便に増便(夏期)
2008年:創立85周年、日本就航25周年
2009年:夏期、成田線チャーター(週3便)を実施 エアバスA330を名古屋・関空線に投入。oneworld加盟10周年。冬期、成田線チャーター(週1便)を実施
2010年:成田線を週7便に増便、通年デイリー運航を開始。名古屋線を週6便に増便
2011年:名古屋線を週7便に増便、東名阪からの完全デイリー運航を実現
2012年:2012年夏期スケジュールにて、2011年に引き続き、東名阪からの完全デイリー運航を実施。成田-ヘルシンキ線を増便、日本-ヘルシンキを合計週24便で運航
2013年:創立90周年、日本就航30年
2014年:4月1日よりJAL、BAとの共同事業を開始
2016年:5月より福岡便を週3便にて就航

ヘルシンキ・ヴァンター空港

ヘルシンキ・ヴァンター空港前のフィンエアービル<

ヘルシンキ・ヴァンター空港前のフィンエアービル

 フィンランドの玄関口となるのが、ヘルシンキ北部のヴァンター市内にあるヘルシンキ・ヴァンター空港。1952年にヘルシンキで開催された夏季オリンピックにあわせて開港された。フィンランド最大の空港であり、北欧のみならず、中欧や東欧や、アジア各都市へ向けた便のハブ空港として機能している。

 同空港は、これまでIATA旅客評価調査で世界第1位、2011年には世界最大級のVIPラウンジプログラムである「Priority Pass」の「ラウンジ・オブ・ザ・イヤー」に世界600カ所以上の空港の中から選出されるなど、開港以来常に高い評価を受けている。これは簡潔な案内表示、移動の容易さ、迅速なバゲージデリバリー、レストランやショッピングエリアの快適さ、空港スタッフの細やかな心遣い、万全のセキュリティー、そしてヨーロッパ各都市への接続の便利さなどが評価されてのこと。特に日本からの利便性は高く、ヨーロッパ60都市以上へスムーズな乗り継ぎができるように設計されている。
 09年12月には新ターミナルが完成。1,000㎡のFinnair Lounge、My City Helsinki Restaurant Worldのほか、多くのショップもオープンした。また、フィンエアーの定期便が国際線、国内線とも同一ターミナルに集約されたため、これまで以上に乗り継ぎが便利になり、ヨーロッパのハブ空港としての利便性が向上した。

フィンランドの基本データ

 フィンランドは、北ヨーロッパに位置する共和制国家。北欧諸国のひとつであり、西はスウェーデン、北はノルウェー、東はロシアと隣接し、南はフィンランド湾を挟んでエストニアが位置する。国名は、フィランド語で”Suomi(スオミ)”と言い、白地に青十字の国旗は「湖の青さと雪の白さ」を表していると言われている。

 国土33.8万平方キロメートルという日本の約9割分の面積に、人口は福岡県とほぼ同じ、約549万人(2016年4月末時点)が暮らしている。首都はヘルシンキで、人口が約62万人(2015年末時点)の都市。

 国土の面積の4分の1は北極圏内にあって、68%が森林、10%が湖沼。自然豊かな国で、日本と同じように四季がある。ヘルシンキは、北緯60度強にあり、カムチャツカ半島北部やアラスカと同緯度だが、メキシコ湾流の影響で比較的温暖。夏(6月末から7月)には30℃を越える日もあるが、-15℃ぐらいまで下がる冬は長く、春・秋は大変短い。夏至のころには一日中太陽が沈まない「ミッドナイト・サン(真夜中の太陽)」が続き、北部のほか南部でも一晩中薄明るい白夜となる。逆に、冬の北部ではまったく太陽が昇らない「カーモス(極夜)という状態が続き、南部も日照時間が短い。この時期、ラップランドではオーロラが観測できる。

 公用語はフィンランド語とスウェーデン語。1155年以降、フィンランドはスウェーデンの支配下に置かれ、スウェーデンの法律や社会体制が導入された。後にスウェーデンからロシアに割譲され、独自の憲法と自治権を獲得。1917年12月6日のロシア革命において独立を宣言した。第二次世界大戦では敗戦するものの、1952年にはヘルシンキオリンピックを開催して復興を印象づけた。1995年にEUに加盟し議長国も務める。国内産業においては、19世紀中ごろまで農業を主体としていたが、第一次世界大戦の前に工業化が進み、金属工業が著しく発展。紙、パルプ、製材などの産業において世界をリードしている。

(つづく)

 
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