東芝、現実味を帯びてきた上場廃止と会社更生法(後)
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原発と半導体の2本柱にするが失敗
東芝の「選択と集中」のスター経営者は、西田厚聰氏であった。2005年6月、西田氏は社長に就任した。西田氏は30歳過ぎてからの中途入社組で、本流である発電機などを生産する重電部門ではなく、ノートパソコンという新規事業出身の異端児だった。
西田氏は「選択と集中」を進めた。東芝セラミックス(株)や東芝EMI(株)、東芝不動産(株)などを次々と売却する一方、原子力発電事業と半導体事業への集中投資で事業構造を大きく変えた。
半導体事業のNAND(ナンド)型フラッシュメモリーは、1998年に東芝が開発した。磁気ディスクに代わって、ディスクの保存・運搬に利用できることから用途が広がった。
圧巻は2006年12月の米原子力プラント大手、ウェスチングハウス・エレクトリック(WH)の買収である。WHと古くから取引関係がある三菱重工業(株)が大本命と目されていたが、東芝は想定価格を遥かに超える6,600億円の買収価格を提示して、最終コーナーで抜き去り、大逆転に成功した。勝者となった西田氏は、半導体事業と原子力発電事業を経営の2本柱に掲げた。東芝は圧倒的にナンバーワンといえる分野はなかったが、「選択と集中」を進めた結果、半導体は国内3位(当時)、原発は世界首位に躍り出た。低迷していた東芝の株価は3倍に急騰。彼の経営手法は、“西田マジック”と呼ばれ、経済メディアに高く評価された。
2つの事業とも、特有のリスクがつきまとうことを思い知らされる。半導体事業は価格と需要の変動が激しい。08年秋のリーマン・ショック後の需要の急減で、価格が70%も下落。半導体事業が大幅な赤字になったため、09年3月期には3,435億円の巨額赤字に転落した。
さらに、11年3月11日の東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故で、原発事業の年間売上1兆円計画が吹き飛んだ。西田氏が敷いた原発と半導体を2本柱とする「選択と集中」は、破綻した。「選択と集中」で天文学的な累損の原発だけが残る
15年春に発覚した不正会計問題の反省をもとに、東芝は同年12月に経営再建に向けた「新生東芝アクションプラン」を発表した。「選択と集中」を実施し、テレビやパソコンといった不採算事業を縮小する一方、原子力事業と半導体事業の2本柱への注力を打ち出した。西田氏の「選択と集中」の二番煎じである。
不正会計が発覚した16年3月期は、リストラ費用や米原子力発電事業の損失により、債務超過に転落する恐れがあった。債務超過を回避するため、「成長株」だった東芝メディカルシステムズ(株)を売却した。東芝メディカルはコンピュータ断層撮影装置(CT)や磁気共鳴画像装置(MRI)など画像診断装置に強みを持つ医療機器の会社で、4,000億円の売上規模だ。
16年1月から始まった東芝メディカルの入札には、国内外から10陣営の応札があった。金額が釣り上がるとともに、ファンド勢が軒並み戦線を離脱。最終入札にはキヤノン(株)と富士フイルムホールディングス(株)2社が残った。最終的にキヤノンが6,655億円で、東芝メディカルを買収した。入札当初、買収価格は4,000億円前後とみられていたが、キヤノンと富士フイルムが競ってどんどんつり上げていったことから、破格な買収価格になった。両社とも医療を成長分野と位置付けていたため、激しい争奪戦となった。東芝の「集中と選択」に基づけば、不採算の原子力事業を切り離し、医療分野を成長の柱に据えてしかるべきだ。ところが、原子力のWHを捨てずに、医療の東芝メディカルを捨てた。「けったいな会社だな」というのが、偽らざる感想だった。
今回も同様。債務超過を回避するという背に腹を代えられない事情があるとはいえ、「虎の子」の半導体事業を切り離し、原子力事業は残す。累積損失1兆円の原発事業を抱えて、東芝はどんな成長戦略を描くことができるのか。会社更生法を申請して、原子力発電事業を売却するしか、再生の手はないのではないか。上場廃止、会社更生法が、現実味を帯びてきたとした理由だ。
(了)
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