溶けて溶けてどこへ行くの? 我々には覚悟はあるか(6)~死に場所を福岡都心部に見つけたり
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義兄弟の悲喜こもごも
Aは長年、大手道路会社に勤めていた。東京から転勤で戻り福岡県古賀市に戸建を買ったのが51歳の時であった。それから子会社勤めを経て65歳で退職した。酒は仕事柄、好きであった。顔色が悪かったから肝臓を患っていることは素人目にもわかっていた。退職から3年が過ぎた68歳に、Aは体調不良を訴え病院で診察を受けた。「肝臓癌です。即刻入院してください」と、緊急手術の必要性の診断を下されたのだ。
身内の間では手術先の病院を巡って議論が対立した。「九大病院がすばらしい」、「いや、国立がんセンターがぴったりだ」と意見が伯仲した。だがA本人が「みんなに迷惑をかけるから自宅に近い病院を選ぼう」と言いだしたので古賀市にある大手病院で手術することに決めた。検査は慎重に繰り返されたと聞く。手術は夕方、終わったのだが、Aは昏睡状態に陥った。そして深夜に息を引き取ったのである。医療ミスの可能性が濃厚という感触であった。
それから7年してAの妻の兄Cに尿道癌が見つかった。80歳近いCは40代後半に筑紫野市の戸建の大型団地に居を構えていた。「筑紫野市ではどうも医療・病院の選択が自由にできない」という理由で中央区薬院にマンションを買い求めて移転した。もちろん、戸建は売却したのである。そして趣味のゴルフに没頭し、病気知らずで漸次、老いてきた。昨年秋、どうも体調すぐれないことを察知して病院へお伺いした。検査入院1週間で診断されたのは『尿道癌』である。Cは必死で調べた。「泌尿器科で一番、先進治療ができる病院はどこか?」と探し求めた。
友人・知人の助言得て博多区にある病院で手術することを決めた。手術時間は当初、予定していた3時間をオーバーしたが、無事終了して現在、経過も良好である。Cの妹=Aの妻が解説する。「夫がガン手術で失敗してトラウマになっていました。実兄も同じ悲運になるのではないかと手術前まで1週間、全然眠れなかったのです」と心境を語った。そして、「兄の手術の成功の原因は福岡市へ転居したから」と断言する。もう少し解説を掘り下げよう。
1・古賀市では確かに充実した戸建生活が保障される。2・ところが年をとり病院と向かい合うようになるとどうも医療制度の立ち遅れが目立つ。3・兄のケースを観察すると福岡市内では病院の選択が自由にできることを知った。古賀市に場合はそういう便利さはない。4・兄は思い切って戸建を売り薬院にマンションを買い求めた。それが結果として技術優秀な病院との巡り合いにつながり助かった。5・都心の医療機関の充実を察知した金のある老人たちの都心部回帰現象は今後、ますます強まるであろう。
我の死ぬ場所は都心部・薬院なり
耳寄り「白金の土地高騰、その理由」で説明した通り、中央区薬院1~4丁目には13,000人以上の方々が住んでいる。平成初頭、筑紫野市にある武蔵台団地(福岡県分譲)の戸建の共住者たちがマンションを買い求めて福岡市都心部へ移転していたことを記憶している。もちろん、戸建を売却して資金を捻出したようだ。薬院へ転入してきたうちの1人に移転の動機を尋ねたところ、「筑紫野では先行きの医療問題に不安を感じた」という本音を聞かせてくれた。先見の明のある人である。
その後、薬院地区はマンションラッシュとなり販売が活況を呈した。販売開始のたびに、どの物件でも郊外戸建住まいの高齢者層が買い求めていった。東福間の団地から移転組の続出があった。最近では糸島市南風台からの移住が目立つようだ。東福間から薬院に移ってきた友人は「子供が独立して妻と2人で暮らすには都心部が便利だ。死に場所は薬院だ」と断言する。彼は鹿児島市出身、大学を卒業して47年福岡で仕事に就いていた。
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