溶けて溶けてどこへ行くの? 我々には覚悟はあるか~九州建設まで溶けるの、溶けないの(3)
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会社老舗沿革を眺めれば
1949年3月に、二代目の辻長次郎氏が辻建設(株)を設立。同社名の会社があったので同年6月に(株)辻組に商号変更する。72年1月に辻長英氏が三代目社長に就く。長光氏の実父にあたる。1990年3月には九州建設(株)と商号変更する(当時流行ったCI、コーポレートアイデンティである)。100年を超えようとする企業が自社の根幹を問い直し始めたのである
91年から関連会社を次々と合併していく。91年8月、九州土地建物(株)を合併、さらに92年8月九和建設(株)九州興業(株)、96年6月九州開発(株)を合併したのである。「なぜ、次から次と関連会社を合併していったのか?」という疑問に回答する。
「恐らく長光社長になって上場する計画があり組織をスリムにする狙いがあったのだろう」とお答えする。それだけ辻長光社長への期待は大きく「100年超えても持続した光り輝く企業づくりのミッション」を背負う宿命が課されていたのである。
100年を超える繁栄持続を期待されて政権交替
97年1月、31歳の若さで4代目の社長になったのであった。実父・長英氏からバトンタッチを行ったのである。社長就任してからの5年はいかにも順調な感じがした。だがマンションデベロッパーに依存する危うい体質を抱えていたことで問題が爆発した。社長就任5年以降は、長光社長は蟻地獄に陥った思いであったろう。
筆者は長光社長には一言、厳しく伝えたことがある。「成り上がり者に利用されないでくださいね。資産を目減りさせないでくださいね」と。昔の元請け業は資産家=分限者から請負、3分割の支払いを頂き完全に納期を完了すればそれなりの利益を確保することができていた。不良債権の発生は非常に稀有であり老舗業者ほど資産形成に長けていた。老舗ほど信用を積み世間から高い信用を得られていた。
デベから急襲を浴びる
筆者の指摘は長年の調査マンとして裏付けられた厳しい真理を述べたに過ぎない。九州建設の後輩組で東建設(1997年10月)、高木工務店(02年8月倒産)、橋詰工務店(03年5月倒産)という業者たちがいた。彼らは「九州建設を追いつけ、追い超せ」が合言葉であった。確かに一時は九州建設を追い抜いたこともあった。だが残念ながら3社とも倒産してしまった。工事高を伸ばしたのはマンション工事に傾注したからである。その反動に襲われて敢え無く行き詰ったのだ。
筆者が強調したかったのは(1)デベロッパー経営者たちの大半はみんな成り上がりで、リスクがある。(2)成り上がり者に利用されることは悪いことではない。彼らが成長してこちらも多少の利=対価が蓄積できれば仕事を受ける甲斐もあるものだ。(3)しかし、相手の躍進に利用されてこちらの資産を目減りさせられる危険性もある。(4)果ては倒産されてこちらは大打撃を受けて連鎖倒産の危険性に襲われることもある。(5)請負とは本来、富裕層からいただくものであることを忘れるな!ということを強調したいのだ。
皮肉でも何でもない。「100年を超える企業づくり」のミッションを課された長光社長経営の九州建設の受注の主力は、結局マンション(分譲・ワンルーム賃貸含む)工事だったのである。東建設、高木工務店の工事戦略を継承したに過ぎなかったのだ。今となっては新鮮味ある受注戦略が立てられなかったのは残念である。長光社長誕生の1期目1997年期の売上190億4,816万円、1998年130億3,479万円、1999年152億5,811万円と変動が激しく1998年期には3億2,582万円の赤字を計上しているのだ。
(つづく)
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