2024年12月26日( 木 )

社長は転職可能の職業だ!「プロ経営者」玉塚元一氏がローソンを退任 次は楽天に転身か?の観測(前)

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 社長が職業になってきた。創業社長でもなく、生え抜き社長でもなく、いくつもの会社を渡り歩く社長が出現するようになった。経営を担うことを職業とするプロ経営者だ。コンビニ3強の一角、(株)ローソンを率いる玉塚元一会長(54)が4月12日、退任を表明した。5月30日付で取締役をやめて顧問になる。ローソンは社長業の4社目だった。

三菱商事の直接統治で居場所を失う

 玉塚元一氏は2010年、当時社長だった新浪剛史氏(現・サントリーホールディングス(株)社長)に「プロ経営者」として招かれた。11年に副社長となり、14年に新浪氏の後任社長に就いた。16年に三菱商事(株)から送り込まれた竹増貞信氏(47)が社長兼最高執行責任者(COO)に昇格し、玉塚氏は会長兼最高経営責任者(CEO)として経営を統括した。

 新浪氏は、親会社の三菱商事出身だが、三菱商事とは距離を置いていた。新浪氏が玉塚氏を後継社長に禅譲するとき、三菱商事は難色を示したが、新浪氏が押し切った経緯がある。

 後ろ盾の新浪氏がローソンを去り、昨年、三菱商事が竹増氏を社長に就けたことから、玉塚氏の任期はあと1年というのが大方の見方だった。

 三菱商事は昨秋、TOB(株式公開買い付け)でローソンを連結子会社にすると発表した。玉塚氏は三菱商事の動きを予測していなかったようだ。

 玉塚氏は退任会見で、「1,500億円をぶち込んで、過半数の株式を取得するTOBをされることには正直びっくりした」と語っている。経営の根幹に関わる重大な問題から、CEOの玉塚氏は蚊帳の外に置かれていたことになる。

 商社業界の純利益首位の座を伊藤忠商事(株)から奪還するため、三菱商事は非資源事業の強化に乗り出した。その一環として、ローソンを直接、経営することにしたわけだ。

 今年2月上旬にローソンを子会社化した三菱商事は、直ちに玉塚氏の更迭に動く。3月1日付で玉塚氏の最高経営責任者(CEO)の職務を廃止。経営会議議長は玉塚氏から竹増氏に交代した。ローソンに居場所がなくなった玉塚氏は辞表を叩きつけた。

 「プロ経営者」を招くのは、多くの場合、創業家だが、玉塚氏は新浪氏から迎えられた。新浪氏という後ろ盾を失った玉塚氏がお払い箱になるのは、予想できたことだ。

他流試合の経験がないまま昇格する生え抜き組

 玉塚氏が特筆されるべきは、社長を職業としていることである。これは日本の企業社会では極めて珍しい。日本企業は伝統的に内部から昇格した、生え抜き組がトップに就く。

 米国の経営コンサルティング会社Strategy&(ストラテジーアンド)が世界の上場企業における時価総額上位2,500社を対象にした「CEO承継調査」によると、15年にCEOが交代したのは16.6%だった。

 日本ではいくつかの顕著な傾向が見られた。新任CEOのうち、外部招聘の割合は日本は3%にとどまり、97%が内部昇格者だった。外部招聘の世界平均は23%で、西欧は38%。国外での勤務経験のある割合は日本は18%。世界平均は28%で、西欧は41%だ。他企業での経験の割合は日本は24%。世界平均は74%で、西欧は実に91%だ。新任CEOのMBA(経営学修士)保有率も日本は3%で、世界平均の30%に比べると低い。

 欧米のトップは外部招聘型が多いが、内部昇格のトップでも、他社を渡り歩いて腕を磨いてきたキャリアの持ち主がほとんど。他流試合の経験もなく、純粋培養で育った日本の生え抜き経営者とは決定的に違っている。

ユニクロを解任されて、社長業を失格

 他流試合が豊富で、社長業を職業にしたのが玉塚氏である。社長業の出発は、2002年11月に40歳の若さで、カジュアル衣料ユニクロを展開する(株)ファーストリテイリング社長に大抜擢されたことだった。

 玉塚氏1962年5月23日、東京生まれ。東京証券取引所理事長を務めた玉塚栄次郎氏を祖父にもつ玉塚氏は、幼稚舎(小学校)からの生粋の慶應ボーイ。慶應ラグビー部の背番号7(フランカー)として、84年全国大学選手権で準優勝の栄誉に浴している。

 85年慶應義塾大学法学部を卒業、旭硝子(株)に入社。将来は自分で商売をやりたいという思いが強く、米国でMBA(経営学修士)を取得し旭硝子を退職。日本IBM(株)に転職しコンサルタントになる。営業に訪れたユニクロで、澤田貴司氏(現・(株)ファミリーマート社長)からスカウトされた。創業者の柳井正氏に会って衝撃を受けた。理路整然と、アパレル業界に革命を起こすと話す柳井氏のカリスマ性に魅せられた。98年、家族の猛反対を押し切り、ファストリに取締役として入社した。

 入社4年で社長に大抜擢されたものの、2005年7月に解任された。オーナーの柳井正氏は、株式を上場して以来初めてマイナス成長になった業績を、右肩上がりの本来のユニクロの軌道に戻すことを玉塚氏に期待したが、玉塚氏は安定成長を志向した。05年8月期の増収減益が柳井氏の逆鱗に触れた。柳井氏は玉塚氏を更迭し、自ら社長に復帰した。

 「泳げない者は沈め」。柳井氏の非情な経営哲学だ。玉塚氏は失意のうちにユニクロを去った。最初の社長業は失格だった。柳井氏が復帰したユニクロはヒートテックで再び急成長を遂げる。柳井氏はこと経営については“狂の人”だ。

(つづく)

 
(後)

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