同族経営からグローバル経営に転換~武田薬品工業・長谷川閑史氏(後)
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役員全員が反対したナイコメッドの1兆1,000億円の買収
「2兆円を使った男」。長谷川氏の社長時代を語るのには、この言葉が最もふさわしい。2008年に米バイオ医薬のミレニアム・ファーマシューティカルズを8,900億円で買収。2011年にスイスの製薬会社のナイコメッドを1兆1,000億円投じて傘下に収めた。
ナイコメッドの買収は、従来の創薬メーカーのM&Aと違っていた。ロシアや東欧、中南米に強いナイコメッドの販売力をテコに未開拓の新興国市場に攻め入ることを狙った。
役員はナイコメッドの買収に全員が反対した。(1)無借金を貫いてきた会社として莫大の借金をしてまで買収する必要があるのか。(2)新興国市場はリスクが高い。(3)これまで研究開発型の企業として成長してきたタケダの企業文化とはまったく違う、というものだ。
長谷川氏は『PRESIDENT』(2012年4月16日号)のインタビューで、役員に向ってこう諭したという。
〈この会社(ナイコメッド)を買収するリスクに比べたら、何もやらないリスクのほうが高いと思う。今、主力商品の特許が次々と切れて、売り上げが下がっている。(中略)こういうときこそ、何もしないでジリ貧になるよりも、リスクがあったとしても前に進むほうが、経営者としては必要だと思う。だから(買収を)了承してほしい。〉
そして、ナイコメッドの買収が決定した。長谷川氏は経営リスクを取れる突破力のある経営者だったということだ。
最大の挫折は、塩野義との統合が幻に終ったこと
そして現社長のクリストフ・ウェバー氏の後継者指名が、グローバル経営に転換するための長谷川氏の最後の仕事となった。長谷川氏は日本人役員へのトップ継承を模索していた。日本経済新聞電子版(2014年1月20日付)は「武田、幻の経営統合 外国人トップ誕生の真相」で、こう報じた。武田薬品の長谷川氏と、塩野義製薬(株)社長の手代木功(てしろぎ・いさお)氏は2013年夏、経営統合に大筋合意していた。
〈関係者によると、この統合後の布陣には、もう一つの意味合いが込められていたという。長谷川は武田と塩野義が統合した後、塩野義の手代木を実質的な後継トップにしようとしていたのだ。塩野義という会社と手代木という経営者を手に入れる一石二鳥のシナリオだった。〉
長谷川氏にとって塩野義との統合は、経営者としての総仕上げになるはずだった。だが、塩野義の創業家の反対で、武田と塩野義の統合は幻に終った。手代木氏を後継者にすることを断念した。これが長谷川氏の突破力が空回りする転換点となった。
外国人トップの後継指名で、亀裂が表面化
次のトップを誰にするか。グローバル企業をマネジメントできる人材は、社内には見当たらない。長谷川氏は社外に目を向け、英グラクソ・スミスクライン出身のクリストフ・ウェバー氏を後継者としてスカウトしたのである。
しかし、外国人社長の起用に、「外資の乗っ取りだ」と創業家の一部やOBが反発した。2014年6月の株主総会では事前質問状が出される事態を招き、「創業家の反乱」と大騒ぎになった。情報誌『FACTA』(2014年7月号)は、武田國男氏と親交がある製薬会社の幹部の話を伝えた。
〈長谷川が外国人を後継社長に指名したと聞いて、「武田を成長させてくれと頼んだが、外国人に売り渡せとは言っていない」という。〉
國男氏の憤りの声が伝わってきたのは、これが初めてだ。外国人社長をスカウトしたことで、長谷川氏は“虎の尾”を踏んでしまった。國男氏は表面には出てこなかったが、総大将の意思を忖度した一族郎党による長谷川氏に対する異議申し立てだった。
長谷川氏は、後ろ盾である武田國男氏の信頼を失った。創業家が健在の老舗企業で、非同族のトップが経営改革を断行することがいかに難しいかを見せつけた。創業家の壁は、高くて厚かった。
(了)
※本記事は5月2日にNETIB-NEWSで掲載したものです。
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