2024年12月26日( 木 )

民営化断固阻止を狙った商工中金の不正融資(後)

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小泉政権が打ち出した商工中金の完全民営化

 (株)商工組合中央金庫(以下、商工中金)は1936年5月、商工組合中央金庫法に基づき、政府や中小企業団体が出資する協同組織金融機関として設立され、それらの所属団体に対する貸付け、債務保証を業務としてきた。全国の工業団地協同組合や流通団地協同組合などは商工中金から融資を得た。中小企業にはお馴染みの金融機関だ。だが、実際の業務は民間と重複する。銀行などの金融機関から、民業圧迫と批判されてきた。

 「民間でできることは民間でやる」。小泉純一郎政権は2002年12月、公的金融の改革を打ち出し、日本政策投資銀行と商工中金の段階的な民営化を決めた。08年10月1日、特殊会社たる「株式会社商工組合中央金庫」が発足。政府(名義は財務大臣)が株式の46.46%を保有、既存の中小企業団体が出資した。5年後から7年後をメドに、政府は保有株式を売却し、最終的に完全民営化するというシナリオだ。

 商工中金に、危機に対応する業務を義務付けた。震災や金融危機が起きたとき、企業の資金繰りを支えたり、壊れた工場や店舗などを再建する設備資金を提供する金融機関は必要だ。民間の金融機関は、優良な企業には融資しても危機的な企業には融資しない。融資か焦げ付くリスクが高いからだ。

 08年秋のリーマン・ショックや11年の東日本大震災で、中小企業の資金繰りが悪化した際、政府は日本政策投資銀行や商工中金を活用した。リスクを取る融資に慎重な民間金融機関を肩代わりした商工中金は、有事の金融安全網の役割を果たした。

 危機対応の金融機関として商工中金の存在価値が高まったことで、政府は11年5月、商工中金の完全民営化の期限を22年3月に先送りした。さらに15年2月、政府は商工組合中央金庫法の改正案をまとめた。完全民営化の方針は維持する一方、22年としていた完全民営化の時期は示さなかった。完全民営化は棚上げされたのである。

 その渦中で起きたのが、商工中金の不正融資事件であった。

天下りポストを死守するため完全民営化を粉砕

 商工中金は、経済産業省の最重要な天下り機関である。株式会社に移行した08年、民間企業の体裁を整えるため、新日本製鐵副社長の関哲也氏が初代社長に就いたが、安倍晋三政権の発足とともに、経産省がすかさず奪還した。13年から元経産省事務次官の杉山秀二氏、16年から元経産省事務次官の安達健祐氏が社長に就いた。

 商工中金にはトップだけでなく、経産省官僚が多数、天下りしている。完全民営化になれば、天下りのポストを失うことになる。これは絶対に阻止しなければならない。東日本大震災の対応で、商工中金が危機対応の金融機関として認められて、ひとまず完全民営化の棚上げに成功した。

 商工中金の存在価値があるのは、危機対応の融資窓口に指定されているからだ。危機対応の融資が減れば、民業圧迫の批判がぶり返し、「民間でできることは民間で」という声が強まるのは避けられない。それを封じるには、危機対応融資で実績を示し続けねばならない。

 商工中金の危機対応融資残高は16年9月末時点で3兆円。全体の融資残高9.5兆円の3分1弱を占める主力業務だ。危機対応融資を強化することで、民間金融機関にない特色を出し、完全民営化の粉砕を狙った。
 それが、危機対応融資の数値目標のノルマで、組織ぐるみの不正に発展した。その引き金を引いたのは、完全民営化を断固粉砕し、天下りポストを死守するという官僚たちの策動にあった。

(了)

 
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