武田薬品工業、世界製薬メーカーとして生き残れるのか(2)
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恩人・武田國男氏との関係に悩む
まだ71歳になったばかりの長谷川閑史会長自身は、本音のところでは「総仕上げを続行したい」という想いを抱いていたはずである。だが現実は同氏の国際企業への変貌(身も心も外国化)戦略に対する軋轢が高まる。同氏の予想を超えた強い反対の動きがあったようだ。
先手必勝を信条としている長谷川会長は自ら「代表取締役会長を退任して相談役に引く(取締役から外れる)」と宣言した。反対派は出端をくじかれた。今回の株主総会では「権限のない相談役にしろ」という意味不明な議題が提出されるとか。
武田國男氏(1940年1月生まれ)、長谷川閑史氏(1946年6月生まれ)の二人のコンビが武田薬品工業のアメリカ事業を拡大発展した功績には、関係者誰もが異論はない。実兄の急逝により武田國男氏は日本に呼びだされて社長に就任した。
時を経て同氏は次期後継者社長に長谷川氏を招請したのである。二人のアメリカ事業拡大の共有の価値観には揺らぎが無かった。「武田薬品工業の100年の計は、アメリカ事業のさらなる拡大を得て世界市場で戦える組織力を強化すること」という事業目標の共有であった。
ところが現在の社長・CEOはクリストフ・ウェバー氏である。長谷川氏が15年4月に社長に抜擢した。同社のOB達中心として「会社を外人に任せるとは、長谷川は勘弁ならない」という批判の声が高まった。『身も心も外国化』という表向きの批判の意味は「売上を海外に頼りきって、なおかつ経営も外人に頼らなくてはいけないのか!!」というものであろう。本音のところは「長谷川は武田家の存在を蔑ろにしている。一体どうするのか」という批判なのである。
國男氏も困った。内心では長谷川氏の経営戦略には異論がない。認めている。ところが周囲の「長谷川は武田家の心を踏みにじっている」という声に対して同意の姿勢を示さないといけない立場に立たされた。アメリカ仕込みの合理的な動きは封殺されたのである。柔軟な方向転換で脱皮してきたタケダの歴史
武田薬品工業の歴史を眺めると一言でいえば「柔軟な進化・対応」である。生物の種を保存・生き延びる本能的手法と共通している。商売創業は1781年(天明元年)であるから現在、236年の業歴を誇っている。ここでは、1949年までを第1期としよう。
第2期目は上場を果たした1949年がスタートである。この間は基本的には日本市場での商売を貫徹していた。1953年にはアメリカ企業と日本レダリーという合弁会社を設立したこともあるが、これも基本は日本市場狙いの策であった。
第3期は1989年に本格的にアメリカで活動する進出基盤を固めたことである。「世界最大の市場で稼ごう」という野心を具現化した役者達の中心が武田國男氏、長谷川閑史氏両氏であったのだ。そして「アメリカ市場で勝負できない製薬会社は敗北者になる」という共通認識を持ち『国際企業へ脱皮』に至る選択をしたのである。
現在の地域別売上状況を見ていただきたい。日本とアメリカの比較でいえば日本が120億円少なく前年対比でも370億円の減収、6.8%のマイナスになっている。アメリカを含む海外の売上総額は1兆642億円であり海外売上の締める比率は67.8%になる。
売上の内訳から判断しても「タケダは国際企業に進化している」と評価できる。リアリスト経営者・長谷川閑史が「アメリカで、世界で勝てる戦略展開の迅速化」を実行するのは至極、当然のことなのである。『身も心も外国化』批判は覚悟の上だ。(つづく)
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