タカタの最高権力者は、『女帝』と呼ばれた高田暁子氏だ!(前)
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6月28日、エアバッグ製造大手のタカタ(株)が経営破綻し、民事再生法の適用を申請した。タカタの倒産は、創業家による世襲経営の悪しき事例となった。創業者の三代目で、最終責任者である会長兼社長の高田重久氏は説明責任を放棄して逃げ回っていた。そんな無責任男に、後部座席からあれこれ指示を出していたのが母親の高田暁子氏である。“女帝”と呼ばれた暁子氏がタカタの最高権力者だった。
息子の重久氏に代わって、母親の暁子氏がインタビューに登場
タカタが破綻する直前に、タカタの特別顧問の高田暁子氏(77)が日本経済新聞電子版(2017年5月22日付)のインタビューに登場した。日経は、社長兼会長の高田重久氏(51)では頼りにならないので、最高権力者である暁子を引っ張り出したのだろう。異例なことだ。暁子氏は自動車メーカーによるタカタ製エアバッグの大量リコール(回収・無償修理)の原因となったエアバッグの破裂事故についてこう語っている。
「一連の問題は(タカタが採用した火薬材料)硝酸アンモニウムを外すだけでは解決しません。日米の火薬の専門家10人以上に会い、問題の原因を尋ねてきました。全員から『経年劣化(引用者注・年月が経つうちに性能や機能が低下すること)がない火薬はない』『誰がエアバッグを永年保証にしたのか』という意見や質問を受けました。車は販売から20年利用されることもあり、ほかの火薬を使ったエアバッグでも経年劣化のリスクはあります。エアバッグが膨らまない事例などが起きています。部品メーカーが火薬を積んだ部品の性能を20年も保証することは難しく、安全に回収したり、定期的に交換したりする仕組みを自動車業界全体で考える時期だと強く思います」
タカタをスケープゴートにするだけでは問題は解決しない。エアバッグの定期交換制度を取り入れろと提言しているのである。舞台を去るにあたっての、自動車行政に対する“遺言”だ。しかし、車検制度さえない米国では定期交換制度は至難だろう。
あまりの過保護で、自分ひとりでは何もできないトップに
“女帝”と呼ばれる高田暁子氏とは何者か。ジャーナリスト田中幾太郎氏が『ZAITEN』に寄稿した「創業家エゴ剥き出しのタカタ『マザコン経営』の悪あがき」から引用する。
〈高田暁子の旧姓は山田。1940年1月、東京で4人兄妹(男・女・男・女)の末っ子として生まれた。父は、凸版印刷の“中興の祖”と称される山田三郎太元社長。長兄の妻の妹は常陸宮家に嫁ぎ(引用者注・常陸宮華子さま)、皇室とも縁戚にある。
大学は慶応大学法学部。夫となる高田重一郎も慶応大学経済学部だが、4学年上なので、大学での接点はない。暁子はその後、留学も経験。英語も堪能だという。66年2月、長男の高田重久が誕生した。
「大奥様が車で重久氏を幼稚園に送り迎えする際、追突事故に遭った。それがのちに、タカタがチャイルドシートを手掛けるきっかけになるんですが、重久氏に対しては、こうした事故で危険な目に遭わせたという反省もあって、目に入れても痛くないようなかわいがりようで、あまりの過保護ぶりが、自分ひとりでは何もできないトップを生み出す結果になってしまったんです」(OB)〉
重久氏は慶応の幼稚舎(小学校)からエスカレーターで大学の理工学部に進んだ、典型的な慶応ボーイ。創業家のプリンスは瞬く間に出世階段を駆け上った。上場を機に、重久氏は07年、タカタの三代目社長になる。41歳の若社長だった。父親の重一郎氏が11年に死去。自分では何もできない重久氏の後見人として、暁子氏が院政を敷くことになる。
(つづく)
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