タカタの最高権力者は、『女帝』と呼ばれた高田暁子氏だ!(後)
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リコールの渦中に豪邸を新築する無神経
「殺人犯はタカタだった」――。14年10月、米ニューヨークタイムズ紙の一面に衝撃的な見出しが躍った。この報道をきっかけに全米メディアが一斉にエアバッグ破裂の危険性を取り上げるようになった。槍玉に挙げられたのが、自動車メーカーのホンダとエアバッグメーカーのタカタだった。
その頃、会長兼社長の高田重久氏は何をしていたか。『週刊文春』(2015年8月13・20日号)は、「エアバッグ タカタ社長5億円の大豪邸を新築していた!」と報じた。東京・品川の高級住宅街に豪邸を建てた。竣工は15年3月。自動車メーカーによるリコール問題がすでに浮上していた時期に着工した。14年11月と12月、15年6月、米国議会では3回の公聴会が開かれたが、そのいずれにも、経営トップの重久氏は出席しなかった。
米国会でタカタ製のエアバッグが大問題になっていた渦中に、重久氏はマイホームづくりに励んでいた。まっとうな神経の持主なら工事を中断する。その経営感覚はあまりにも無神経。自動車メーカーが、重久氏に見切りをつけるきっかけになったのが、5億円の大豪邸の新築だった。
重久氏はマスコミにまったく信頼されていなかった。15年6月25日の株主総会後の記者会見で、「経営の意思決定には母親の意見が反映されているのでは?」と、大変失礼な質問が出た。さすがに重久氏はムッとしたそうだが、記者たちは重久氏を暁子氏の「操り人形」としか見ていなかったのである。
女帝の最後の仕事は、溺愛してきた息子の解任
大奥様、あるいは女帝と呼ばれた暁子氏の最後の仕事は、溺愛した息子の重久氏をクビにすることだった。三代目の自分が家業を絶やすことの自責の念から、重久氏は最後まで私的整理にこだわった。自動車メーカーに最後通告を突き付けられ、中国系の米キー・セイフティー・システムズへの事業譲渡を受け入れた重久氏だが、創業家がなんらの形で事業に関われないかを画策した。
重久氏の見苦しい醜態に、暁子氏がサジを投げた。日本経済新聞(2017年7月11日付朝刊)はこう報じている。
〈「もはや経営トップは息子には務まらない」。重久の心理状態を誰よりも危惧したのは、実母である高田暁子(77)だった。先代の高田重一郎(故人)の時代からタカタを支える古参幹部らとともに取締役会で重久の解任動議を出すことを決めた。実行日は3月23日にすることも確認した。〉
その日の取締役会は重久氏が荒れ狂い解任動機は提出されないまま幻に終わったという。
最終的に、タカタは民事再生法の適用を申請して倒産した。これで創業家一族が保有していたタカタ株はタダの紙切れになる。タカタの筆頭株主は、52.1%を保有するTKJ株式会社。高田暁子、高田重久母子やファミリー企業のエスティー株式会社などが名を連ねる。TKJはタカタ総業株式会社の100%出資の子会社である。タカタ総業には、母親の暁子氏、長男の重久氏、次男の弘久氏のほか、株式会社伊関、公益財団法人タカタ財団、有限会社宇山、株式会社クリエースが出資している。クリエースは重久氏が豪邸を建てた品川の土地の所有者だ。創業家の高田家は、タカタ総業の子会社であるTKJを通じて上場会社のタカタを支配し、利益を吸い上げる仕組みを構築していた。
高田一族が保有する株式資産の価額は最盛期には2,000億円を超えていたが、倒産によってゼロだ。親離れができていない無責任男を経営トップにした報いであった。
リーダーの資質がなかった三代目を後部座席に座った母親が操縦する。表の経営トップと裏の女帝。タカタの倒産は、権力の二重構造という同族・世襲経営の負の遺産がすべて出た。上場企業になったからには、経営の経験者を社外取締役に招いてアドバイスを受けるべきだったのではないか。タカタは、あまりにも「高田個人商店」でありすぎた。
(了)
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