2024年12月22日( 日 )

巨星墜ちる・ソロン田原学氏~初盆前の最終弔辞(2)

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田原社長からもらった起死回生のチャンス

 福岡市中央区長浜3丁目は「西武ハウス通り」と言われる。その名にたがわぬほど、西武ハウスは同社本社までの通りを買い占めているのだ。この通りだけでも400戸ほどのマンションを充分に供給できている。同社は幾度かのピンチを乗り切って、地元では押しも押されもしないデベロッパーの地位を築いた。2014年1月に現在の長浜に本社を移転し、14年2月期に過去最高の業績をあげた。そのリーダーである豊福清代表は、「田原社長とのめぐり合いがあったからこそ今日がある」と語る。

 これはどういうことか。かつて同社は、東区西戸崎でリゾート用を含めた大型マンションを販売した。供給数があまりに多く、地元だけではさばけずに東京含めた他地域でも販売に注力した。いわば西武ハウスの存亡をかけた総力戦であったのだ。ところが販売の山を越えた時点で致命的なことに気づいた。次の仕込みが全くなかったことがわかったのである。「今から土地を仕込んでも、2年半しないと売上が立たない」。豊福社長は大きな危機感を抱いた。

 そこではたと閃いた。「そうだ!ソロンが空港横の不動産を処分しようとしている。田原社長に頼みにいこう」と行動に移したのが、2008年リーマン・ショックが収まったころである。当時、ソロンは手持不動産の処分を行っていた。「空港横の不動産」とは、もともと福岡地所が住宅展示場として活用していたものである。故人・田原氏はこの土地を入手して、500~700戸の大型マンション住宅プロジェクトを練り上げていたのである。

 豊福社長が経緯を語る。「世間では田原社長がこちらに頼み込みにきたと思っているようだが、事実は違う。こちらの窮地を打ち明けて頼み込んだのだ」。要は「仕込みの商品がないので我が社の先行きは大変です。1つ空港横の土地を譲ってください」と懇願したのだそうだ。故人は「豊福社長の存亡にかかるようなことであれば、わかった。譲ろう」と快諾してくれたというのが真相だそうだ。「この土地を押さえることができたので現在の弊社がある。田原社長は私にとって命の恩人なのだ」と感謝の念を率直に吐露する。

『モントーレ』ブランド イメージ向上の拠点に

 西武ハウスは自社ブランド『モントーレ』のマンションを、年間200戸コンスタントに供給してきた実績がある。この実績を踏まえてブラッシュアップしたのが、シニア向けマンション『モントーレ ラコルタ ユニバ通り』(協同住宅部分183戸)である。同社の創業30周年を記念したプロジェクトだ。豊福社長自身の体験から、介護と医療のサービスを充実させ、24時間体制で看護スタッフの常駐と医療機関と連携したシステムを構築した。

 老人ホームの利用権方式と異なり、資産として残せる所有権方式として注目を浴びた。空港に隣接した便の良さを見抜いた方々が東京・大阪から購入され転居してきたそうだ。購入者夫婦の大半は、1カ月のうち10日は留守にして動き回っているとか。このシニア向けの共同住宅プロジェクトが、『モントーレ』ブランドを革命的に引き上げたばかりではない。田原社長の恩情で取得した不動産で50億円を超える事業の達成に成功したことが、現在の同社の飛躍に直結しているのだ。故人もあの世から「豊ちゃん!!ありがとう」と感謝されていることであろう。事業を極めた者同士の付き合いの見本といえる。

(つづく)

 
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