2024年12月22日( 日 )

別次元企業への挑戦~西武ハウス(2)

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先人の屍を乗り越えて!!

 企業レポーターとしては、マンションデベロッパーの世界は興味津々の世界であった。個性の強い経営者たちがひしめいていたし、浮き沈みのドラマが山積していたことから、取材対象には事欠かなかった。まず淘汰の荒波が押し寄せたのは1990年秋のバブル破壊であった。91年の秋に興栄ホームの自己破産申請、92年3月に大蔵住宅の倒産が相次いだ。しかしこれで終わりではなかったのだ。始まりであった。

 2008年のリーマン・ショックまで歴代の先輩たちの会社が、次々に倒産として処理されていった。東峰住宅産業、新生住宅、すまい、アーサーホーム、じゅうなどの各企業は泡として消えるか、大手の傘下に入ってしまった。そして次にやってきたリーマン・ショック=2008年前後にはソロン、ユニカが行き詰っていた。西武ハウスの豊福清社長はこの2社の経営者を非常に尊敬していた。

 前述してきた先人たちの屍を目の当たりにして、豊福社長は何を考え、また何を学んできたのであろうか?結論は(1)手堅くやること(2)だが、現実は勝負するときは負けないために頭脳がパンクするまであらゆる方策を練り上げること(3)社員を大切にすることを信条としたことだ。同社に取材した時のことだ。前職で顔見知りの社員が西武ハウスへ転職していたのである。

 「以前の会社と較べて社員に対する扱いはどうなのか?」と意地悪な質問をした。その社員は「御存知の通り前職の経営者は社員たちを罵倒してこき使っていた。しかし豊福社長は別次元の経営者だ。我々のことを親身になって扱ってくれる。私はこの会社に心中する覚悟で尽くす」と本音を語ってくれた。ちなみに、この社員の前職のマンション業者は、人材確保がままならなくなって廃業してしまった。

幾多の危機を潜り抜けて

 豊福社長の事業主としてのキャリアは古い。1983年に創業しているから34年になる。85年7月に西武ハウスを設立する。87年11月にマンション事業モントーレシリーズ第一号物件「モントーレ地行」を竣工した。続いて91年11月自社初の大型物件「モントーレ天神」の全201戸が竣工したのである。この年はバブルが弾けて同業者の倒産が相次いだ時期で、当然販売不振に襲われる。完売までに漕ぎつけるのに苦労した。

 この時期が豊福社長にとって初めてのピンチであった。そこから10年以上の雌伏期間があった。それ以降に関しては、表現は悪いが戸建事業、タウンハウス事業で食いつないできたのである。15年経過した2006年に突如、好転のきっかけを掴んだ。東区西戸崎に大型マンション団地用地を取得できたことである。同業者たちとの厳しい競争のなかで、この不動産を勝ち取った。ここに西武ハウスとしては初めて300戸を超える全316戸の大型リゾート物件「モントーレブルー・ラ・メールfukuoka」を竣工したのだ。この西戸崎に位置するリゾートマンション完売の後に第2回目の危機を迎えるのである。

西戸崎のモントーレで躍進の方程式を解明

 2007年は1年間、必死で何もかも忘れて完売に注力した。その努力の甲斐があって、10月には同物件が社団法人全国住宅建設産業協力会連合会より表彰を受けた。300戸超える大型物件は福岡だけでは売り切れない。東京・大阪でも顧客開拓に精力を使った。地元以外で300戸の40%を売り切った実績は、その後の物件販売に実った。また大型物件を平然と完売できる営業力も蓄積した。

 筆者の友人夫婦がここに住みついて10年になる。夫婦で会社経営に専念している。「博多湾に沈む夕日の綺麗なことにはいまでも感激する。この素晴らしい自然環境に囲まれた生活には満足している。夜、2人で飲んで帰るときの代行運転代は6,000円を超えるが、アイランドシティを横切って帰れるから不満はない」と評しているほど、このリゾートマンションの価値は高まった。

 ここで形成した企業力の要因とは(1)モントーレというブランドを大いに高めたこと(2)中央での顧客開拓のノウハウを会得したこと(3)300戸の大型物件の販売に怖れを抱く必要がなくなったことだ。以上で大躍進の方程式解明に漕ぎつけた。ところがある日、豊福社長は愕然となった。「次の、次の仕込みの商品がないぞ!!」と吠えてしまったのだ。マンション業者の宿命は常に一定の商品用不動産を準備することである。これが第2回目の危機の内容であった。
 業績数字を見れば一目瞭然である。2008年は80億円という過去最大の売上を計上した。『モントーレ・ブルー・ラ・メール』などの物件が売上実績となったからピークを迎えたのである。それ以降の売上は下降線をたどり、12年3月期18億円まで急減してついに赤字となったのである。マンション業者の場合には土地の仕込みに手を抜くと空白期を生み3、4年後に業績に跳ね返ってくるのだ。

(つづく)

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