別次元企業への挑戦~西武ハウス(3)
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ソロン・田原学オーナーとの触れ合い
08年決算は絶好調にみえたが、豊福社長は先行きに不安を感じて1週間も寝られないことがあったそうだ。1つ2つの中途半端な不動産を仕込んでも大勢には影響ない。「3年後には売上が立たずに店じまいをしないといけないな」と最悪の事態を想定もしていた。そこに助け船を寄せてくれたのが、業界の大先輩・ソロンの田原学オーナーであった。一時は1,000億円を超える借入を抱えていたソロンは銀行指導の整理会社になった。当然、資産売却指導が進行する。
東区に隣接している志免町(福岡空港から車で3分)の広大な土地の売り出し情報を耳にした豊福社長は即刻、田原社長に会いに飛んで行った。「田原社長!ぜひ飛行場横の不動産を譲ってください」と懇願した。「いやートヨちゃんならこちらからお願いしたいくらいだ」と喜んで快諾してくれたのだという。豊福社長は「あー心底からの付き合いをしていたからこそ天佑に恵まれたのだ」とすべてに感謝した。
この場所で不朽の名作物件となったのは『モントーレラコルタユニバ通り』(共同住宅部分183戸)である。介護と医療のソフトとハードを完備し、24時間体制の介護スタッフの常駐と医療機関との連携によるシステムを導入。老人ホームの利用権方式とは異なり資産性の高い住居として注目された。この購入者の半数は県外、東京居住者が占めていた。承知の通り『モントーレブルー・ラ・メール』の販売実績が生かされたのである。このソロンから引き取った案件で最終的には170億円を超える売上ビジネスになったようだ。
ユニカ緒方寳作オーナーとのご縁もまた続く
2008年のリーマン・ショックでも多くの同業者がつまづいた。その第一番手が丸美であろう。オーナーの金丸近氏は詐欺事件で逮捕されて実刑を受け、塀のなかでの暮らしとなった。08年当時、トップクラスを走っていたユニカもまた、資金ショートの事態となった。同社は福岡地所から東区香椎浜の広大な敷地を買い受けた。ここにA~Eの5ブロックでの超大型マンション計画を遂行する予定であった。
当初は一括で買い取るという東京の業者がいたのだが、「金融機関の支援を受けられなかった」という理由でキャンセルとなった。そこで事業主のユニカもハタと困った。自力で業務遂行を成す力もない。緒方オーナーは豊福社長へ事業継承の打診を行った。A、B、Cの3ブロックの事業は引き受けた。ここでの事業売上が160億円を突破した。現在、Dブロックの『モントーレ香椎浜サーフタワーイーストウイング』(332戸)の売り出しの開始となっている。
残りのE棟の計画は500戸を超える巨大団地である。豊福社長も引き受けるかどうか思案中ということだ。どうであれ仕込み物件がないという危機状態から、5年分は保有する余裕デベロッパーに様変わりした。17年2月期は売上100億円をキープして18年、19年両期は100億円をはるかに凌ぐことが確定している。それもこれも緒方社長とのご縁があって大躍進の機縁を得たのだ。
別次元企業の玄関口への布石
14年1月に現在の中央区長浜に本社を構えた。周辺の通り沿いに不動産の手当てが済んでおり、マンション分譲の計画がある。将来、この通りは『西武ハウス通り』と呼ばれるかもしれない。18年、19年両期を越えていく過程で西武ハウスの風格は一段と高まっていくことは間違いない。『異次元企業への登竜門』に立ち、その門をくぐる寸前にあると評価できる。
豊福社長は会社の組織の質的発展に関しては強く意識している。9月終わりから10月にかけて、社内で今後の事業取り組みの総点検と練り直しを行ってきた。18、19両期の先、5年先(2023年あたり)までの企業の形態をどう構えるかの徹底討議を展開していると聞く。方向性の枠組みはマンション分譲事業一本頼りの打破であろう。当然のごとく、総合不動産業への転進が決定される。結論を述べれば西武ハウスは別次元企業の仲間入りを果たすであろう。豊福社長もそのために充分な苦労を経験しているのだから……。
(つづく)
法人名
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