シリーズ都市福岡に貢献した経営者たち(1)~中内㓛氏(ダイエー創業者)(後)
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連戦連敗の絶不調
1989年から福岡ダイエーホークスの新たなるホームグラウンド、福岡における戦いが始まった。この当時、本拠地となった平和台球場は取り壊しが決定している。新チーム福岡ダイエーホークスは仮ホームグラウンドということで士気が上がらなかったのか、負け犬根性が染みついた南海ホークス体質を選手・スタッフ全員が継承したのかわからないが、本当に情けない成績しか残せなかった。もちろん、ダイエーから派遣された13名も球団経営に関してはずぶの素人である。ゲームの現場に口を出す力はない。
中内氏は急いだ。「平和台でやっているうちは球団が強くなるはずはない」という信念を抱いて構想実現に奔走した。アジア太平洋博覧会が終了した。福岡市は早く土地売却を迫られている。福岡地所・榎本和彦社長(当時)などを使って地元・福岡市対策を講じた。中内氏の構想の要は(1)球団経営のためには話題の球場が必ず必要(2)常識外れのビッグなホテルの建設(3)先端事業基地の整備というものだ。外向けには「ツインドーム」構想がひとり歩きを始めた。
投資2,000億円に留まる
中内オーナーは「金には糸目をつけない。3,000億円でも4,000億円でも注入して未来都市の原点を実現しろ」とツインドーム構想を実現するつもりでいた。ところが1988年段階からダイエーの本業には黄色信号が点滅を始めていた。投資額に対する銀行の干渉も始まった。ダイエーの投資計画の責任者の告白が興味深い。「ツインドームを実現すると投資額は3,000億円を超える。それを強行すると銀行団が融資をスットプする危険性がある。中内オーナーに「投資額2,000億円を限度にしないとすべてが仕切り直しになる事態が予想されます」と進言した。しつこい説得にようやく中内氏もおりた。
1993年初頭に福岡ドームが完成して4月の公式戦にはようやく間に合った。日本では最も広いドーム球場である。その後にシーホークホテルも建設された。ただ中内氏には慙愧の念が残った。ドームとホテルの中間の用地にオープンした商業施設のホークスタウンが「この施設だけは中途半端であった」という。投資額を2,000億円で抑える以上、どこかで手抜きするしか方策は残されていなかった。
中内氏本人は悔やんだとしても百道浜・地行浜に福岡ドーム、シーホークホテルが誕生したことは周辺一帯の付加価値を増大させた。2つの建設物がランドマーク的効果を生んだ。その後の不動産売却がスムーズに運ぶ上で大きな役割をはたしてくれたのだ。また福岡の新たな観光スポットにもなった。この両地区がただの住宅街に留まることを打ち破る効果を発してくれたのだ。同氏にとっては2,000億円の過大な投資がダイエー行き詰まりの一要因になったかもしれない。しかし、この投資のお陰で平成の前半において福岡の都市力に勢いをつかせた原動力になったのだ。
1999年、ついに日本一へ
1993年、福岡ドームでの公式戦が始まったが、福岡ダイエーホークスが一瞬で強くなるわけではなかった。選手補強も相変わらず場あたり的なトレードで対応していた。負けが続けば福岡のファンは見切りをつけるのが早い。観客席はガラガラ。まずはチームとしての整備が至上命令となった。二代目監督・田淵幸一氏に代わって三代目に根本陸夫氏を迎えた。この人の役割は、まずは常勝球団になるために、球団としての足腰を充実することが最優先課題であった。最後の仕上げが、四代目監督・王貞治氏の招来である。
福岡ドーム建設と王監督の采配に魅力を覚え、福岡ダイエーホークスにすばらしい新人選手が集まりだした。93年には小久保裕紀、翌年は城島健司、97年には井口資仁、松中信彦とトップレベルの選手たちが集まってきた。王監督の采配手法が選手たちにようやく浸透し始めたのである。しかし経営は火の車状態であった。金が足りなければ親会社・ダイエーに工面するしか能のない球団経営人ばかりであったのだ。
中内氏は福岡3点セット事業の再生人として立ってくれるよう、高塚猛氏に懇願した(聞くところによると高塚氏説得に盛岡市へ4回、足を運んだそうだ)。高塚氏は99年4月に福岡に着任して経営再建に注力する。観客動員も急増させた。観客席が埋まってくると選手たちも気合が入る。王監督の采配の妙も絡んで99年に日本シリーズを制覇した。翌年はリーグ優勝を連覇した。ここに常勝福岡ダイエーホークスが誕生したのである。
福岡においてようやく市民たちに「我がダイエーホークス」と強い誇りが定着し始めたのである。金額にカウントすれば投資額2,000億円に匹敵するであろう。
中内氏倒れる
2004年にダイエー本体は再生機構配下になる(私的整理)。中内氏はダイエーオーナーの地位を失うことになった。当然、福岡ダイエーホークスも手放すことになる。周知の通りソフトバンクが買収することになるのだが、常勝球団であれば誰からでも切望されるというもの。己の命以上に大切な企業を倒産させてしまった中内㓛氏の心境は如何なものであっただろうか!!そして05年9月19日、永眠されたのである。
(了)
法人名
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