2024年11月23日( 土 )

支配・侵略の6000年の歴史の変遷~イタリア・シシリー島(6)

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シシリー島に惹かれてしまった私(後)

 シシリー島の人々がよく使う言葉がある。それは「リスペット(rispetto)」、日本語で「尊敬」を意味する言葉だ。さらにgive&takeを重要視する。外国人の私に親切にしてくれる人たちは、何か見返りを期待しているのかもと考えてしまう時がある。とにかく、人との付き合い、関わり合いなしでは生きていけない、より「人間らしい」生活ができるのがシシリー島なのだ。

 農業中心のこの島は、自給自足で、失業率はイタリア国内でも常に上位だが、食べる物には困らない土地柄ゆえだろうか、悲壮感が漂う表情の人は少ない。そんな彼らから学んだこと、それは今日一日を楽しまなければ損をする、という生き方である。明日どうなるか分からない、今というこの時間を悔いのないように生きよう、という考え方に好感がもてた。

 不自由で便利さに欠けるシシリー島で、それでもここでずっと過ごしたい、ここに残りたいと決心できたのは、この生き方をマスターできたからだといっても過言ではないほどである。

 私がこの島に長く住んでいるもう1つの理由はシシリー料理のおいしさである。
 2004年8月、ヨーロッパは猛暑に見舞われた。消費電力は一気に上昇し、停電が続いた。蜃気楼がたちあがるどころではない外気に対して屋内は、石づくりのため比較的過ごしやすく、どの家もすべてシャッタ-を下ろす。日本家屋の雨戸によく似ている。太陽の光さえ入らなければ、冷房がなくても何とか耐えられる程だ。

 そんな暑い夏、食欲もないときにシシリーのママたちがつくる料理は、ズッキーニの葉のパスタだ。真夏に熱々のス-プパスタを食べるのは、日本人が真夏に汗をかきながらカレ-ライスを食べる感覚に似ている。栄養価が高く、スタミナのつくシシリーのにんにく、トマトたっぷりのス-プはのどごしも良い。最近では、ミシュラン星付きのレストランなどで腕を磨いた雑誌やテレビで取り上げられる人気シェフたちもそろっている。

 お洒落な高級レストランで贅沢な一時を過ごすのも優雅だが、大衆向けのトラットリアで豪快な料理に舌鼓をうつのもまた楽しい。イタリア料理は、伝統的なものが多く、地域性が強い。シシリーには、ロ-マ時代からすでに食べられていたそら豆のスープ、イスラム統治時代の牛の脾臓バーガー、スペイン統治時代のア-モンドのお菓子、など食べ物からも歴史の深さが感じられる。

 また、北イタリア、北ヨ-ロッパのバター中心、濃いソ-ス系の料理に比べて、オリ-ブオイル中心の地中海料理はシンプルだが、素材の良さを生かしたレシピが多い。シシリー島がイタリア国内でも長寿の島とされるのが、この食生活からもわかる。

 シシリー島では家族中心の生活スタイルが今でも根強く残っている。昼休みが長いのは、家族全員がそろって食卓につく大切な時間だからなのだ。午前中で仕事をいったん終え、子どもたちを学校に迎えに行き、昼食の準備をする母親、だいたい14時過ぎがシシリーの一般家庭での昼食時間だ。

 父親が席につくのを待って、家族が食べ始める伝統的な習慣は今でも見られる。それでも、家族形態は少しずつ変化してきている。両親が共働きで、子どもたちの面倒を見るのは祖父母だという家庭も少なくないが、家族の絆は非常に強い。

 平和な家庭で生まれ育った私だが、家族内の助け合い精神、団結力はシシリーの伝統なのだと感じさせられる。親戚同士の付き合いも大変蜜だが、金銭が関わってくると仲がこじれる。先祖代々、子孫へと受け継がれていく、土地をめぐっての争いが最も激しい。

 私がシシリーに住んで外国人で得をしたと思うことは多々ある。シシリー人同士というのは、非常に独占欲が強く、嫉妬深いことでイタリア人のなかでも有名だ。ロ-マの友人に「シシリー島出身の彼がいる」、というと、「それはかわいそうに、大変だね」という答えが返ってくる。

 きっとそれは常に支配され続けた歴史を背負う彼らの、性格が関係しているのかもしれない。外から来る外国人は拒まず、去る外国人も追わない。ゆえに、外国人の私が何もできないふりをすると、なんでも手伝ってくれる。

 1人でこの島にきた私だったが、「怖い、どうしよう」という不安に駆られたことは、これまで一度もなかった。常に誰かが助けてくれるという安心感に包まれていたのだ。目の前に映るのは一見、無秩序の世界だが、家族愛があり、人間味溢れるシシリー島の人々の心の豊かさが私の心に響いた。

 イタリアは、世界遺産が最多の国であり、すばらしい遺跡、美術、芸術の国だが、シシリーではそれらはもちろん、何よりも人間が生み出した文化がすべて見られること、感じることができる場所である。この島への愛着は強く、今では第2の故郷になった。

 
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