2024年11月24日( 日 )

上村建設、繁栄の根幹は『後退は死す』という精神にあり(前)

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 今回の上村建設とコーセーアールイーの対談のなかで、私は上村社長に「2017年10月期を評価する言葉は芸術だとしか言いようがない」と正直に語った。この期の売上高259億9,789万円、営業利益19億3,404万円、経常利益20億120万円、当期利益12億7,433万円を眺めれば『芸術なり』という言葉しか見当たらない。

1985年代初頭は10位前後

 上村建設の設立は1959年2月、来年で設立60周年を迎える。設立60年という歴史は業界の老舗の証だといえる。だが福岡市中央区大名に同社の本社があった77年、筆者が初めて訪問した時は、まだ業界内で新参者の扱いを受けていた。まだ設立して20年にも満たなかったこともあるのだろう。

 当時、同社の業界における完工高ランキングは20位前後であったと推定される。ただし農協のアパート建設と入居者斡旋ビジネスモデルなどにより「上村建設は既存のゼネコンとは違う歩みをしている」と注目されていた。

 75年から85年の10年間は、まだ松本組、九州建設(当時・辻組)が君臨していた時期であった。しかし、このころ業界内で地殻変動が生じ始めた。この時期、地元に完工高100億円を超える企業がなかったが、87年に東建設が完工高100億円を突破した。

 この事実は業界内に大きなインパクトを与えた。その後の東建設の歩みは請負業を逸脱した。東建設は『造注』という言葉を広げたが、その後、不動産投資の失敗で倒産に至った。

 当時『東建設が100億円企業になった』という事実を上村建設の創業者・上村実氏は無視できなかった。持ち前の闘争心が湧いてきたのだ。

 上村実氏は、幹部社員たちを集めて緊急会議を開いたという。「我が社も100億、150億円の請負業者になろう!!英知を出してくれ」と社員に号令をかけた。これまで同社は他社の動きに対し「我関せず」というマイペースな姿勢をキープしていたが、上村実氏の脳裏に「業界トップになってこそ本当の信用がつく」という気持ちが強まった。

 良い意味の競争・拡大意識が定着するようになり、同社の躍進を後押しした。85年時点で完工高は8~10位にランクされていた。ちょうど85年ごろから不動産バブルの波が福岡に押し寄せてくるようになった。マンション供給も増大し、各地元ゼネコンは工事高を伸長させていった。良いタイミングで上村実氏の拡大号令が会社全体を大いに奮い立たせたのである。

(つづく)

<COMPANY INFORMATION>
上村建設(株)
代 表:上村 秀敏
所在地:福岡市博多区住吉4-3-2
設 立:1959年2月
資本金:1億円
売上高:(17/10)259億9,789万円

 
(後)

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