【巨大地震に備える(2)】中心部は空き地、空き家、駐車場が目立つ
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故郷のお寺の納骨堂に先祖のおまいりに行った後、納骨堂周辺のお墓を廻ってみる。すると同級生のお墓を見つけた。「A君は2003年に亡くなっていたのか!!」「えっ!B君は1993年に亡くなっていたんだ」とただただ驚愕するばかりだった。
彼らとは40年ほど前に同窓会で会って以来、会っていない。彼らとこんな場所で再会することになるとは…。A君には、いつも将棋でコテンパンに負かされていたことを思い出した。
故郷の中心部を歩くと、昔は居住地で家が建っていた場所が、さら地になり、駐車場になっていた。今建っている家も空き家が多いように思える。同級生の多くは故郷に残っているが、実家には住まずに別の場所に住んでいる者が多い。彼らは月に1回程度、空き家になった実家の整理整頓にきているそうだ。空き家 我が故郷の人口は4,000人と言われてきたが、現在では2,500人にまで減ってしまったそうだ。山間部ではなく国道10号線が近く、JR日豊線が利用できる交通の便もいいところにも関わらず、だ。
私が小学生のころは2クラスで生徒数100人を超えていたが、現在は1クラスの生徒が15人足らずとか。ただ学校の設備は充実、プール、体育館、実験室などが完備されている。母校の小学校 中学校にも行った。祝日だったが、部活動をする生徒たちが「こんにちは」大きな声をかけてくれたのが嬉しかった。広いグラウンドを歩きながら中学生時代を思い浮かべた。当時、4クラスで生徒が190人いたが、現在は2クラス70人程度とか。中学校は日向灘に面しているので南海トラフ大地震が発生すれば大きな被害を受ける危険性もある。
中学校 昔、ある地域が消えた。1800年代初頭のことだ。海岸線沿いの集落が大波によって消滅したと伝えられている。 中学校の南側には日本トップクラスのブロイラー工場が数十棟並んでいて壮観である。従業員は地元の主婦の方々が中心だが、高齢化し引退する年齢になっても若い人がいないため代替わりができない状態だ。頼りは外国人研修生の登用しか残っていない。
地元が寂れていく一方で、最近、世間を騒がせた元相撲協会理事の妻のルーツがある昔は田舎だとされていた地区では人口が増えているという。この地区は大きな道路が開通し、利便性が増したことが人口増の要因だそうだ。農業が盛んな地区では、人口は現状維持という感じだ。添付している写真を参照してほしい。宮崎県の日向灘に面した地域はどこも潮の強さによって浸食されている。昔は砂浜が広大だったから野球もできた。その頃から砂浜が削り取られていったのだ。
現在、テトラポットにより幅広い砂地が再現された。このゾーンがかつて沈没した集落を形成していた場所だとみられる。
予想される巨大地震が襲来すると我が故郷は300世帯が波に呑まれるだろう。対策はないといって過言ではない。ただ近くに高台があるので、そこに早く逃げられれば、命を守ることは難儀ではないだろう。
延岡市から宮崎市の海岸線をチェックしてみよう。延岡市では旭化成の工場も被害を受ける確率が高い。日向市は細島地区が致命的な打撃を受けることになる。都農町も海岸線沿いでは予断を許さない。川南町は高台が迫っているから、さほどの被害にならないのではないか。
高鍋町から宮崎市までの海岸線沿いは松林が続く。この地の利を生かして、どう時間稼ぎできるかが課題となる。(つづく)
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