2024年11月22日( 金 )

スカイマークの創業者、澤田秀雄氏の事業家人生(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 

学生向け格安旅行会社HISが大当たり

skymark スカイマークは、2社目の起業であった。
 がっちりした体躯と太い眉毛、クリクリした目から、仲間内では「平成の西郷隆盛」と呼ばれる澤田秀雄氏は1951年2月4日、大阪市生野区の生まれ。大阪市立生野工業高校を卒業後、73~76年まで、旧西ドイツのマインツ大学経済学部に留学。留学中にアルバイトで稼いだ資金を元手に、ヨーロッパはもとより、中東、アフリカ、南米まで50カ国を旅して回った。その放浪のなかで、初めて格安航空旅行券なるものに出会った。正規料金の半額以下。こんな安い航空券があることが、新鮮な驚きだったという。
 80年12月、東京・新宿西口で学生向けの格安旅行代理店、インターナショナルツアーズを設立。現在のエイチ・アイ・エス(HIS)である。格安旅行券は売れに売れ、HISは急成長した。海外旅行では今や取扱額、送客数でJTBに次ぐ二番手の大手である。
 95年3月にHISが店頭公開。資金を手にした澤田は、1996年2月にスカイマークエアラインズ(2006年10月、スカイマークに商号変更)を設立、念願の航空業界に進出した。
1998年に就航した格安運賃のスカイマークは爆発的な人気を得た。座席予約が殺到し、羽田-福岡便のチケットが手に入らないほどのフィーバーぶりであった。

スカイマークを西久保慎一氏に売却

 「航空業界に風穴を開けた風雲児」。澤田氏はこう絶賛された。1990年代末のベンチャーブームの頃、澤田氏はソフトバンクの孫正義氏、パソナグループの南部靖之氏とともに「ベンチャー三銃士」と呼ばれた。
 だが、内心では「大変な業界に足を踏み込んでしまった」と後悔した。航空事業は特殊な世界であることを思い知らされたからだ。

〈人材確保の困難は、地上業務のプロフェッショナル以外にも、パイロットや乗務員、さらに整備スタッフなど、あらゆる業務に振りかかってきた。一機飛行機を飛ばすのに250人必要なスタッフを、会社を立ち上げて最初の1年間は、たったの30人しか確保できなかった〉(前掲書)

 就航しても、採算ベースを維持するのは困難だった。2000年5月に東証マザーズに上場して事業資金を調達し、それで一息ついたものの、事業収支は改善せず雪だるま式に赤字が膨らんだ。03年10月期は累積赤字が約130億円に達し、約35億円の債務超過に陥った。あと一期、債務超過が続けば、東証マザーズ上場廃止になる瀬戸際だ。上場廃止の危機に追い込まれた澤田氏は会社を身売りし、航空事業から撤退することを決意した。
 「既存勢力からの反攻は覚悟をしていたものの、現実になると、事業基盤の脆弱なベンチャー企業の経営は、想像を超えて苦しかった」
 澤田の敗戦の弁である。大手に挑んだガチンコ勝負でひねり潰されたのだ。それでも、大手と仁義なき戦いをやってきた澤田氏は、大手の軍門に下るような不様なマネはしなかった。03年9月、ベンチャー起業家の西久保愼一氏に売却した。西久保氏は経営に失敗し、スカイマークの民事再生法の適用を申請した。結局、スカイマークは大手のANAの軍門に下ることになった。
 航空事業から撤退した澤田氏は、金融事業に軸足を移す。1999年に買収した協立証券(現・エイチ・エス証券)が2004年10月にジャスダック市場に上場。澤田氏が手掛けた3社目の上場会社だ。07年に持ち株会社体制となり、澤田ホールディングスとなる。主力はモンゴルのハーン銀行だ。

ハウステンボスにカジノ誘致を計画

 10年4月、格安旅行会社HISが大型リゾート施設、ハウステンボスを買収。HIS会長を務める澤田秀雄氏がハウステンボス社長に就いた。ハウステンボス内のホテルに居住し、住民票もハウステンボスの所在地(長崎県佐世保市ハウステンボス町)に置いて、再生に取り組んだ。
 18年連続赤字だったハウステンボスを買収した澤田氏の狙いはどこにあるのか。ハウステンボスをどうやって再生させるのか。当初は、まったく見えてこなかった。やがて意図が明らかになる。カジノの誘致である。
 地元、長崎新聞(12年2月8日付)は、ハウステンボスにカジノ誘致を目指す西九州統合型リゾート研究会の有識者委員会に、「澤田秀雄社長の構想として、ホテルヨーロッパ内に富裕層向けのカジノを設け、家族・一般向けには園内に新たなカジノ施設を建設する案が提示された」と報じた。中国、台湾、韓国からの海外客を主力に関西以西の国内組も含め、年間500万人を集客するという内容だ。
 その手始めに、子会社のHTBクルーズが運航する長﨑~上海間の国際フェリーでのカジノ。日本の法律に触れない公海上でのカジノの運営を計画した。だか、日中の関係悪化で失敗に終わる。
 カジノ解禁に向けた「カジノ区域整備推進法」の国会提出のメドが立っていない。よしんば、カジノが解禁になっても、ハウステンボスに決まる可能性は極めて低い。九州・沖縄地区では、米軍基地の辺野古移転との抱き合わせによる沖縄振興の一環として、辺野古地域へのカジノ設置が有力だからだ。
 ハウステンボスへのカジノ誘致の見込みはない。それではどうやって、澤田氏はハウステンボスを再生させたのか。

「光の王国」が好調で、過去最高の経常益

 ハウステンボスの14年9月期単独決算は、売上高は前期比21.4%増の262億円で4期連続の増収、経常利益は45.2%増の83億円で過去最高となった。当期利益は繰越欠損金の解消による法人税の増加で2.9%減の52億円だった。
 過去最高の経常利益は、入場者数が12.8%増の279万人となったのが主因だ。オランダの街並みを模したハウステンボスをエンターテインメント施設に変えたことによる。
「花」「光」「音楽とショー」「ゲーム」と毎年、王国シリーズを打ち出した。規模を拡大したイルミネーションや九州一花火大会などのイベント「光の王国」が好評たった。歌や踊りを披露するハウステンボス歌劇団もある。
 こうした取り組みで15年9月期の入場者数は前期比15%増の321万人を見込み、売上高は315億円、経常利益104億円と増収増益を予想している。
 澤田氏は、再生は厳しいと見られていたハウステンボスを短期間で高収益企業に再生させたのである。
 その澤田氏が新しいビジネスとして取り組むのが、ロボットが主役のホテルチェーンの展開。起業家、澤田秀雄氏の真骨頂だ。

(了)

 

(前)

関連記事