2024年11月05日( 火 )

北洋建設総帥・脇山章治氏の次なる戦略は?(9)

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九州みらい建設グループとは(4)

元々は北洋持株会社があった

office1 この九州みらい建設グループの前に北洋持株会社があった。脇山総帥が2008年に北洋建設の社長を退いて会長に就任した時に、この持株会社の社長になった。この時の持株中核会社をダブリュコーポレーション(以下、W社)が担う役割であった。
 W社は1976年12月に有限会社北洋産業として設立されたものである。そして2002年1月にW社に株式会社への移行と法人名の変更を行った。このころから北洋建設が不動産事業を本体からW社に移管した。不動産資産名義をW社に集中する方針を決定したのである。さすが戦略家は長期を見ている。
 そして北洋建設の関連先企業は別紙を参照されたし。関連は別に複雑ではないが、W社の子会社として興和日東(株)がありその下に有明ゴルフ(株)が連なる。大半の企業には脇山総帥の手が入り再起・再建がなされた経緯がある。
 このなかには再度、元の一族オーナーたちに経営権を譲渡したケースもあるのだ(三ツ矢建設が一例)。だから一概には北洋建設グループとは言えない面もある。

 この時期にW社名義の資産が膨張する。動きが派手になる。どうしても北洋持株会社ではグループ組織がシンプルな為に第三者から裸同然で動きが掴められる。脇山氏にとってW社の資産膨張が悟られることには極度に嫌悪感を抱いたのではないか!!それでW社の存在を隠す必要がある。北洋持株会社を消して九州みらい建設グループを旗揚げして、W社との関連を表面上は断絶する画策を打ったのではないのかと推測される。たしかに世間向けの九州みらい建設グループの旗揚げ趣意書にはW社の存在は一欠けらも見当たらない。

M&Aから企業再生へ発展して事業拡大

 関連企業にオリエント空調がある。この場合は企業再生の前に人材確保の狙いがあった。大型改修工事の為にはどうしても外装吹付職人が必要である。一人ひとりスカウトするには時間がかかる。依って塗装・防水工事会社丸ごとM&Aをして職人の技術を習得していた時期があった。塗装工事の次には必ず発生するのが空調修繕工事である。タイミングよくオリエント空調との出会いが生じた。ここで北洋建設は空調修繕工事の習得することができた。現在でもオリエント空調は別働隊としての役割を担っている。回収工事に力点を置きだした際には、脇山戦略家はこのようなM&Aを駆使して人手・技術を確保したのである。

 あるゼネコンのM&Aに弊社が関与したことがある。結果、弊社の主導権で下関市の会社がこのM&Aに成功した。後で耳にしたことであるが、北洋建設も水面下で動いていたようだ。考えるに10年前ほどからM&Aに注力していた節が伺える。M&Aの結果としてオリエント空調の場合には南区本社はW社の名義になっている。この時点で基本戦略が構築された感じである。
 M&A戦略から企業再生へ局面が進展していく。梅の木建設の場合はM&Aと企業再生の2つの意味があるのではないか。脇山総帥は相談を受けて梅の木建設の整理整頓に尽力した。そこで同社の本社敷地南区塩原の不動産はW社名義になる。負債の整理整頓する場合に必ず不動産売却の事態に直面する。『外部に転売するよりW社で引き取る方が良かろう』という判断で処理したのであろう。そして『再度、経営権は譲渡して相談があれば経営アドヴァイスを行う』という関係維持をするという緩やかな関連グループを形成するようになる。

 再生実績を積むとその後は、各方面から企業再生・再建・傘下への案件相談が鰻登りになる。「扶桑建設=興和日東=有明ゴルフ」は一連の関係で引き受けた。決して【頼まれたら断れない】性質だけでなくそこは経営者だ。計算も働く。どうW社の資産を増やすかを計算するのは当然のことである。

(つづく)

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