怪物・カマチグループ創設者、蒲池真澄氏(18)
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筆者が蒲池総帥を意識したのは1991(平成3)年の福岡県会議員選挙の頃である。この選挙に八女郡から蒲池氏が立候補したことで注目した。ちょうどその時に福岡和白病院が立ち上がり超多忙な時に『なんで選挙に立つのか? 物好きなことよ』と率直、軽蔑した。結果は落選したのである。その後、始末に東奔西走したのが、高橋等彰氏であった。県警出世頭であった同氏が退職して小文字病院事務局長に抜擢されたのが84(昭和59)年頃ではなかったか。この高橋氏とはいろいろな付き合いの縁があった。だから高橋氏の蒲池氏に対する献身性を目撃してきたからこそ、蒲池総帥の存在に関心を抱いたのである。
修猷館OB一の医療ビジネス怪物経営者
筑紫野市元市長 楠田 幹人 氏
<高橋等彰氏との関係で知りあう>
私は1941(昭和16)年生まれで蒲池先輩は修猷館の1年先輩にあたります。学生時代には面識はありませんでした。ただ下関で開院して続いて小倉の小文字病院をたて続けて開業したことは耳にしていましたから『なかなかのやり手の先輩だな』という記憶は当時、残っています。85(昭和60)年だったと思いますが、高橋等彰先輩がひょっこりと現れました。ちょうど私が、福岡県会議員として一所懸命、仕事を行っていた時期です。
高橋先輩は修猷館の1年先輩になりますが、テニスクラブでのメンバーです。だから学年が違っても密度の深い関係が続いていました。高橋先輩と蒲池先輩とは同期でしたから非常に親しい付き合いをしていたようです。突然、高橋先輩から申し出がありました。『すまん!!力を貸していただきたい。蒲池君が和白に病院の開業計画を進めているのだが、医師会の反対もあり福岡県が相手してくれずに許可が下りないのだ。本当に苦労している』という内幕を包み隠さずに語ってくれました。
『なぜ?私』という疑問を持たれるでしょう。私はまだ1期目の新参者の県議でしたが、厚生常任員会の副委員長の要職にありました。委員長は社会党員の県議でしたから私が実質切り回していたのです。そのポストに座っていたからこそ、高橋先輩が訪ねてきたのでしょう。確かに医師会が反対されれば福岡県も動けません。そこで『苦慮している高橋先輩の為ならば』と猪突猛進で関係者に働きかけました。
<和白病院の開設で大飛躍>
嫌がる福岡県ともタフな交渉を行いましたが、結果としてまずは個人病院として開業ということで許可を取得したのです。九大医学部卒の蒲池先輩が『福岡に拠点を持ちたい』という気持ちは充分に理解できます。確か昭和の終わりから建設が始まり90(平成2)年には病院オープンしたのではないですかね。この福岡和白病院の人気は高くなり、新しい病院建設にまで発展していたと思います。この福岡和白病院の評判が蒲池先輩の医療事業を大躍進させてのではないでしょうか。凄い規模になりましたね。
福岡和白病院開院の行政の許可を得た功労で付き合いが始まりました。まず第1の強烈な印象は『この先輩の運力は桁違い、1万倍ある』ということです。八女郡県議選に立候補した蒲池先輩は落選しました。その時、選挙違反の疑いで追い詰められましたが、見事にその包囲網を打ち破ったのです。私ならば選挙買収で逮捕されていたかもしれません。
私はいま様々な病気を背負っています。1つ先輩の蒲池先輩はいまでも医療現場を走りまわっているそうです。一族の不祥事で徳洲会グループが難儀していますが、100歳まで現役で活躍してもらい日本一の病院を目指していただきたいと思います。
<プロフィール>
楠田 幹人(くすだ みきと)
1941(昭和16)年5月台湾に生まれ、46(21年)年4月引き揚げる。60(昭和35)年修猷館高校卒。66(昭和41)年国立佐賀大学文理学部法律家卒、66(昭和41)年福岡銀行入行。米国への留学を経て74(昭和49)年退行。75(昭和50)年4月筑紫町市議会議員。83(昭和58)年4月福岡県議会議員、87(昭和62)年より94(平成6)年まで筑紫野市長を務める。関連キーワード
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