怪物・カマチグループ創設者、蒲池真澄氏(20)
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東京への進出が目覚ましい巨樹の会だが、カマチグループの本拠地である福岡和白病院(池友会)では、また別の新たな事業計画が出ている。そのひとつが、今後、がん治療対策も視野に入れたオンコロジー(腫瘍学)を取り入れていくというものだ。筆者がオンコロジー事業計画について、さらに聞き込んでいかねばと思っていた矢先、(有)東部冷熱工業の代表取締役、矢野英和氏ががん治療で入院した。
(有)東部冷熱工業 代表取締役 矢野 英明 氏
(有)東部冷熱工業は、カマチグループの病院建設、とくに設備面での業務を担う。矢野社長と蒲池眞澄会長のつきあいは、もう20数年になる。「最初は麻雀やゴルフなど遊び仲間として付き合いが始まったんですよ」と矢野社長。当時、小文字病院に務めていた現・巨樹の会理事長、鶴崎直那氏と親しかった。よく一緒に麻雀を愉しんでいたが、やがて蒲池会長とも席を共にする機会が増え、徐々に病院の設備面を中心とした仕事を頼まれるようになったそうだ。請け負うのは建設事業だが、設計やデザインなどは他の企業が担当しているので、主に設備面だけを担っている。業務分担が明確なのは「大切なのはシンプル&シンキングだ」という蒲池会長の理念に沿うものであろう。
長年、蒲池会長と付き合ってきた矢野社長だけに、蒲地会長の卓越した経営手腕には様々な面で驚かされてきた。救急医療の早期受け入れ、早期リハビリ医療の導入、看護師、リハビリ職員のグループ内での育成による人材確保。考える事業戦略が、すべからく成功するのを間近で見てきた。蒲池会長も人である以上、いくつか失敗も経験している。しかし失敗から学び、最終的には各病院をすべて黒字経営病院へと導いた。とくに驚いたのは栃木県の新上川病院の変貌ぶりだ。備品の破損を補修する費用さえ枯渇し廃墟のような体(てい)を見せていた同病院が、地域でも目を引く美しい病院となり、今やグループ上位の収益を誇っている。実際に現地を視察した矢野社長は、「減価償却費が掛からなかったから収益が上がったということはわかる。しかし、それを実行して結果を出すということは、誰にでもやれることではない」としきりに感心していた。
このような事例が数々上がれば、蒲池会長の絶対的な先見の明には誰も異論を唱えなくなるというのも当然だろう。だが矢野社長は、「強いて言えばそこが今の問題だろうか。結局、蒲池会長の後を継げるような幹部が育てられていない」と案じる。
ただ蒲池会長を止められる者はいないのではないかとも感じている。関東地区への病院開設時、矢野社長は共に各病院を視察しにいった。蒲池会長の行動力は東京でも健在だった。一度の上京で1、2施設回るのが精いっぱい、という状況でも、すべての病院を精力的に見て回る。もう75歳だが体力があり、人の2倍も3倍も動く。「階段など走って昇りますからね。あの歳で足腰が強いですよ」と矢野社長。多くの人の群れが常に流動しているかのように街を移動している東京でも、蒲池会長の猪突猛進癖は止まらない。
そして「他の者がついていけないと感じることもあるぐらい」走り回った後は、飾らない自己流のライフスタイルで飄々と一日を締め括る。「今年4月、原宿リハビリテーション病院が開設した際は病院近くの森の中にプレハブを建てて、そこを宿泊に使っていましたよ」と矢野社長。贅沢なものには興味を示さず「裸一貫が一番落ち着く」という蒲池会長らしいエピソードだ。実は矢野社長の令夫人は下関カマチ病院開設時から蒲池会長と共に働いてきた看護師でもある。蒲池会長の郷里とほぼ同じ矢部の出身で、郷里からの応援部隊として今も蒲池会長を支えている。下関カマチ病院時代は看護学生や准看護婦に非常に厳しい看護師教育指導を行っていたと聞いている。その難所を乗り越え、立派な看護婦として小文字病院にやってきたところで、矢野社長に見初められたようだ。蒲池会長としては、身内を嫁に出したような気分だったであろう。会ってみると包容力を感じさせる、非常に朗らかな方だった。蒲池会長を支えた看護師とは、このような人たちだったのだなと感じた。
矢野社長は、現在、病床にある。9年前に肺がんとなり、今年になって転移が見つかった。そして4月末、福岡和白病院に入院し、現在、化学療法を受けている。「やはり人間、体力がないとね。僕などは9年前、がんセンターに入院していたこともあるから病床生活も慣れているけれど。しかし蒲池会長は常に活動していないと気持ちが収まらないタイプだろうから、動けなくなったら本当に生き甲斐をなくしてしまうんじゃないかな」と、このような状況に身を置いてみると、エネルギッシュな蒲池会長のことがまた別の意味で心配になるようだ。だが、そんな矢野社長の心配など気に掛けることもなく、蒲池会長の事業計画は東京でリハビリ病院、福岡でオンコロジーと着々と進行中だ。「まったく、人がもう無理だと思っていることをやってしまう人だからなあ」と矢野社長は、病床で苦笑していた。
(つづく)
<プロフィール>
矢野 英和(やの ひでかず)
1947年北九州市生まれ。九産大卒。81年(有)東部冷熱工業、創業。98年設立。ゼオライト、東芝キャリア、九電工、新日本空調、熊谷組などを仕入先に持ち、社会医療法人財団池友会への販売を行う。2006年、肺がんを発病、余命5、6年と言われたが抗がん剤治療で小康状態を保ち、蒲地会長とともにカマチグループ系列病院の建設に務めている。法人名
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