怪物・カマチグループ創設者、蒲池真澄氏(1)
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<九州大学医学部卒で最大の医療事業の経営者>
カマチグループ創設者・蒲池真澄会長は、4月14日に75歳を迎える。しかし、エネルギッシュな事業意欲には、まったく衰えを感じさせない。今年は、東京で2つの新規病院のオープンを予定している。今月は回復期病院として、303床の原宿リハビリテーション病院をオープンする。10月には、これまた回復期病院の役割を果たす118床の五反田リハビリテーション病院を開院の予定である。今後は、福岡都市圏よりも都市圏への投資の方が重点的に完遂される流れのようだ。大市場へ事業注力することが理解できる(プロフィール・事業規模は後記する)。
まずは、この蒲池氏をどのような表現で評価を行うか検討したが、「九大医学部卒の最大の医療ビジネス経営者」というのが適切な表現ではないか――。
医者には3通りの貢献評価の道がある。まず1つ目は医療研究者として極めることである。ただ残念ながら、九大医学部卒でノーベル医学賞をもらった人物はいない。2つ目の道は、医療行為を通じて地域の健康を守る選択することだ。この最たる例は『ペシャワール会』の中村哲氏である。現在、アフガニスタン東部での灌漑用水建設に邁進している。日本での資金援助が年間15億円に達するとは、すごいことだ。中村哲氏を『日本のナイチンゲール』と評価しても過言ではない。帝国大であった九州大学は、医術で商売することが忌み嫌われていた。『商売するのは沽券に係わる』と思われていたのであろう。だから福岡地区では、病院経営で創業し成功を収めた医療経営者の学歴は、久留米大学医学部卒が目立っていた。
その鉄則を打ち破ったのが、この蒲池真澄氏なのである。事業のスタートは1974年、下関市で救急指定の下関カマチ病院を開設したのだ。他業種に置き換えれば、裸一貫で事業を起こしたのであると表現する。蒲池氏は事業を起こして41年目になるのだが、詳細は後述するとして、2年後にはグループ売上が1,000億円に迫る勢いである。1,000億円の年商だ。その時点では、従業員1万人に達するとみられる。後で立証するが、他業種との比較で言えば、北九州市に本社があるTOTOと同クラスと断定すれば、皆さんびっくり仰天されるであろう。わずか41年間に、独立独歩でこの医療グループ組織を形成したのである。こんな怪物医療経営者は、九大医学部卒では他に存在しない。福岡・九州では、せいぜい高木病院グループ(医療法人社団高邦会、本部:福岡県大川市)しかないのである。
<独立独歩を貫く>
蒲池氏を知ったのは、昭和の終わりから平成にかけて、自ら政治家になろうとしたときである。「医者としては珍しく、我が道を貫く人だ」という印象を抱いた。医者が政治の世界に踏み込む際には、必ず医師会が後押しする。そんな業界には関係なく我が道を貫くのだから、異色である。九大医学部内でも、仕来たりなどに気にせずに医療に専心してきた。貸し借りを抱かなかったからこそ、病院事業の拡大が図れたのであろう。
だが、独立独歩の道を貫くのは、容易なことではなかったはずだ。足を引っ張る勢力もいたに違いない。蒲池氏について、その次に印象に残った証言は、前武雄市長・樋渡啓祐氏のものだ。この人は周知の通り、鼻っ柱の強い人である。他人のことをあまり好評することを好まない。
樋渡氏と蒲池氏は、武雄市市立病院をカマチグループに譲渡する際に知り合った。「樋渡市長!!このくらいの苦労で根を上げてつまるか!!」と、蒲池氏から喝を入れられたそうである。
「政治家でも役人でも、あれだけ肝っ玉が据わっている人物には会ったことがない」と、樋渡氏は絶賛するのである。(つづく)
<プロフィール>
蒲池 真澄
学校法人福岡保健学院創設者、社会医療法人財団池友会理事長、カマチグループ会長。
1940年4月14日、福岡県八女郡黒木町生まれ。蒲池家は江戸中期から8代続いた医師の家系で、蒲池真澄で9代目となる。59年 福岡県立修猷館高校卒業、65年九州大学医学部卒業。東京虎ノ門病院でインターン(1年間)、九大大学院医学研究科、下関市立中央病院、福岡大学医学部を経て、74年に今日の池友会グループの礎となった下関カマチ病院を開院し独立した。関連キーワード
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