論理も検証もない 世にも珍妙な書籍の概略
先般、『筑紫菓匠五十二萬石如水庵 創業四二〇年の軌跡』という書籍が出版された。書籍にはテーマがあり、著者はテーマを読者に伝えるために証拠や傍証を挙げ、推論を重ねながら著述を行なう。
同書は、さかのぼること420年の昔、天正15年(1587)に松永庄右衛門なる人物が博多滞陣中の太閤・豊臣秀吉に菓子を献上したと、これまでの博多の歴史には無かった新事実を公にした。今回出版された同書のテーマは、この新事実の論証だ。ところが、この書籍はまったくその用を達していない。その珍妙さを検証する。
論旨が破綻した珍書
この書に出てくる松永庄右衛門なる人物は、豊臣秀吉との関わりから、大賀宗九、島井宗室、神屋宗湛などの日本史に名を残す博多の豪商たちと肩を並べるように描かれている。彼は松永榮松堂という菓子屋を興し、この榮松堂がやがて、現在の五十二萬石本舗となるのだと同書では述べられている。 つまり、五十二萬石本舗の祖だという松永庄右衛門なる人物が秀吉に菓子を献上し、そこから菓子屋を興したという事績について世間を納得させるのが同書の目的なのだ。
ところが、250ページにわたる同書本文中には、証拠となる資料の典出はもとより、納得させられる傍証も無く、推論などはまったく本論と関わりの無い事実や資料を上げて行なわれている。松永庄右衛門なる人物の実在さえ証明できていないわけだが、それでも庄右衛門が秀吉に菓子を献上したのは史実だとする記述が数カ所に見られる。
要するに同書は、論証不可能な創作とおぼしき話を事実と結論づけ、一方では、本論とは関わりがない史的事実を羅列して飾っているという(詐欺師の話法に似ているが)書籍としての体を成していないという意味で珍妙であり、珍書と言える。
創業年の重みとその偽りの影響
この珍書は(株)五十二万石本舗の代表取締役社長・森恍次郎氏が、自社創業の歴史的調査を、本書に「歴史研究家」とある荻野忠行氏なる人物に依頼し、稿が起こされることになった。
同書冒頭の「発刊にあたって」によれば、同本舗先代で恍次郎氏の父である正美氏の代に使用されていた「(同本舗製造の)松風饅頭のチラシ、最中の黒田五十二萬石の栞、長崎での菓子博覧会の展示パネルなどに、天正年間、初代松永庄右衛門が農業を営むかたわらお菓子づくりを始め、天正十五年(1587)、廃墟と化した箱崎の松原の大茶会において、秀吉が詠んだ歌にちなみ『松風』というお菓子を作ったのだと書いてあり」、これらのチラシなどに書かれているいくつかの項目を歴史的に実証できないかという意図が森氏にはあった。
ちなみに、1979年、福岡商工会議所創立100周年の際に、会議所側から創業の年次を問われて、森氏は何ら検証を行なうこともなく、単に商品を売り出すために制作された前出のチラシや栞に記載された内容をそのままに、天正15年と回答している。年商20億円に及ぶ企業の行ないとしては、このことさえも多分に軽率の極みと言えるが、今回は会議所会員の内輪のみならず、何に憚ることなく「創業四二〇年の軌跡」と表題し書籍の形で公にした。
いずれの家でも内々で語られる家系に関わる話というものは、たいてい家族のうちの饒舌な誰かが期待や予断を交え、法事や祝い事の酒席で話を大きくしてしまい、事実から遠く離れた荒唐無稽なものになっていることが多い。そのような家伝とさえ言えない作り話と思われる内容を、そのまま世間に対して公表するという形が採られたのであり、そのことによる波紋は大きい。
博多には、黒田藩政下の古文書に多くの記録が残り、300年を超える歴史を確認できる菓子老舗・松屋がある。日本三大銘菓のひとつとされる鶏卵素麺の製造元である同老舗は、その暖簾の重みを継承して今日に至り、菓子折りには老舗の歴史も詰まっていることを客も喜び、店を訪れる。そのほか福博には、石村萬盛堂や二○加煎餅の東雲堂など、三代百年を超える菓子老舗が店を構えるが、その重ねてきた年月には伝来の技術や商家としての文化がある。そこへ歴史的裏付けもなく、こちらが古いと書籍を出版され、荒唐無稽の話を公にされるとすれば、それは降ってわいた災難と言える。
老舗での買い物は、暖簾が重ねてきた時間への信頼が底辺にあり、その歴史に偽りがあるとすれば、それは顧客への裏切りであり、詐欺ではないかと指摘されても仕方がないだろう。今回の五十二萬石本舗ならびに歴史研究家・荻野氏なる人物の行為は、老舗菓子舗からすれば、営々と築きあげて来た暖簾、ブランドへの具体的な毀損行為であり、営業妨害だ。また顧客に対しては、看板を詐称する行為であり、偽ブランドを製造販売するにも似ている。
それでも強弁する
博多は町人の町であり、自治の気風が強く、その文化や歴史は独特だ。同書は、そのような博多商人史に新たな事実を加えるような重い内容を語っていることになる。また、天正15年の箱崎大茶会で松永庄右衛門が菓子を秀吉に献上したと同書は言うわけだが、この茶会には茶の湯に新たな契機を加えるエピソードが含まれており、同書の記述は茶の歴史にも関わってくる。
今回の出版は、博多商人史や茶道の歴史を書き変えるほどの問題を世間に対して問うていると言えるのだが、この物語の主人公たる五十二萬石本舗創業の祖・松永庄右衛門なる人物の実在についても、また秀吉への菓子献上についても、ただ一方的に事実だとするだけで、まったく説明がなされてはいない。
それでも秀吉に菓子を奉ったのは我が店の祖だという強弁が通るのであれば、誰かが「私の店は、延喜元年天神様が九州に下ってこられた際に、お菓子を献上し千年経っております」と、適当な故事を引き合いに出して何を言いだしてもおかしくないことになる。そんな困った後輩たちが現れたとき、常軌を逸した先達は、何と言って諭すつもりだろか。
つづく
※記事へのご意見はこちら