2005年1月24日、4カ月におよぶ準備期間を経て、「ボイス・オブ・ハート」はスタートした。世界にも類を見ない、地雷被害者のメンタルケアを目的としたラジオ番組の誕生である。
ラジオの言葉が絶望に光を
プリエップ・ソバットはラジオ番組のスペシャルゲストとして登場し、被害者からの詩や手紙を優しく気持ちを込めて読み上げた。「難民を助ける会」の車椅子工房で働いているチュオイ・キムホンさんは、苦しいなかで努力を重ね、車椅子バスケットボールのカンボジア代表になるまでの話をせつせつと話してくれた。また、内戦時代に片足を失い「ハンディキャップインターナショナル」で働くボウ・リティさんは、「俺たち障害を持ったものは強く生きなければならない。努力して力をつけさえすれば、他の人間にできることは自分たちにも必ずできる!」と力強いメッセージを送った。アキラの地雷博物館から来てくれたハク君は、8才のときに地雷被害に遭い、同時に2人の兄弟も奪われた。彼は「カンボジアにもう戦争は要らない。戦いは要らない。ずっと平和であってほしい」と静かに語りかけた。
障害者として多くの困難を抱えながらも、強い信念と努力で厳しい現実に立ち向かうゲストの一言一句が、絶望の淵にある地雷被害者の心に光を灯すことを願いつつ、放送は続けられた。ゲストとして登場した地雷被害者たちは、いずれもラジオ初出演。緊張で硬くなりがちなうえに、スーパースターのプリエップ・ソバットとの共演とあって、ドキドキの連続だったに違いない。
多くの人の熱意のもとに
「ボイス・オブ・ハート」はCMCの現地駐在員の熱意と行動力、そして多くの人々、NGO、企業の理解と協力のもとに実現した。この世界にも類を見ない取り組みは、各界の注目を集めた。カンボジアのテレビ局CTNからの依頼で、「Cambodia Today」という番組に出演した古川純平君は「CMCの日本での活動、カンボジアでの支援内容、ラジオプロジェクトについて語り、日本とカンボジアの子どもたちをつなぐ役割を担いたい」と締めくくった。
この話は電波にのって、カンボジア全土で朝・夕2回、そして世界数カ国でも放送された。また、世界中に支社を構え多くの読者を持つ男性誌「GQ」や、カンボジア最多の読者を持つ新聞「Cambodia Daily」誌からも取材を受けた。
地雷原の村、ボップイの学校建設、そして被害者へのメンタルケアのためのラジオ放送「ボイス・オブ・ハート」の立ち上げ―こうした地道な成果を残し、古川君は帰国の途に着いた。
その後を引き継いで、ラジオ放送の効果を調査し、より良いものへと発展させる役割を担って着任したのが、渡辺雄太君だった。
再放送をぜひ聴きたい
渡辺君は当時23歳、九州大学農学部大学院修士課程を修了し、修士論文を提出後、第9次スタディツアーの団員としてカンボジアに入った。ツアーで各地を訪問し、我々が帰国した後、いよいよ本格的な調査活動に入った。
「ボイス・オブ・ハート」は、どれだけの人の心に届いたのか・・・。人々の声を確実に把握するため、アンケート調査は一人ずつの対話形式で行なわれた。被害に遭った障害者だけでなく、健常者の心にも訴えたかった番組だったため、障害の有無に関わらず調査を実施した。
首都プノンペン、世界遺産アンコール・ワットのあるシェムリアップ、タイ国境の町パイリン、そして地雷被害が最も多く、CMCが拠点を置くバッタンバン。渡辺君は各地をスタッフと共に訪れ、義足センター、職業訓練センター、病院、学校、そしてその周辺に住む人々に会い、直接その声を聴取していった。
障害者220名、健常者280名、計500名のアンケートを集計した結果、障害者の35%、健常者の8%が「ボイス・オブ・ハート」を聴いたことがわかった。やはり、健常者の心を引きつけることは難しかった。しかし、番組を聴いた人々に、再び放送を開始したら聴くかどうかを尋ねたところ、障害の有無に関わらず、全員がぜひ聴きたいと答えている。
番組のなかには、手紙の朗読、詩の朗読、電話、ゲストの被害者へのインタビュー、音楽などのコーナーがあったが、詩の朗読とインタビューのコーナーが心に響いたという結果であった。次回では、具体的にアンケートで寄せられた声を紹介していきたい。