新社長・茶山氏とは
土屋氏が新社長として招いたのが茶山幸彦氏(60)。茶山氏は就任後の記者会見で、創業家とは半年前ほど前から接触していたことを明らかにしている。MBOに反対する経営陣全員を解任するというシナリオは、かなり前から出来ていたのだろう。
茶山氏は、行く先々でトップの解任騒動に遭遇するというユニークな経歴な持ち主だ。71年に東大経済学部を卒業し、富士銀行(現・みずほフィナンシャルグループ)に入行。執行役員に昇格したが、富士・第一勧銀・興銀の3行統合を機に退職。01年、セイコーインスツルメンツ(現・セイコーインスツル、SII)の常務執行役員に転じた。
03年、社長に昇格。名実ともにナンバーワンになったのが05年。セイコーグループの総帥、服部礼次郎・名誉会長が退任し、創業家直系の御曹司、服部純市・副会長兼CEO(最高経営責任者)も名誉会長に退いたためだ。茶山氏は社長兼CEOに就いた。しかし、ナンバーワンの座は1年しかもたなかった。
06年5月17日、名誉会長の服部純市氏が会長兼CEOに復帰。茶山氏は社長兼COO(最高執行責任者)に降格。その9日後の26日、茶山氏は相談役に退き、純市会長兼CEOが社長代行とCOOを兼任し、全権を掌握した。
茶山氏の退任理由については、健康上の理由と説明された。しかし真相は、一族から経営不振の責任を問われて名誉会長に追いやられていた純市氏が、復権を狙って起こした宮廷クーデターというものだった。
半年後の11月16日に開かれたSIIの取締役会で、今度は会長兼社長代行の純市氏が解任された。セイコーグループの創業家出身で、かつてグループ総帥候補と目されていた御曹司は、その独断的手法が一族、経営陣、幹部の反発を招き、追放された。
茶山氏は、ヤフー監査役、夢の街創造委員会の監査役を務めていたが、再び東証一部上場の経営の表舞台に立つこととなった。創業家からSII社長を解任された茶山氏が、今度は、経営陣を解任した創業家からノーリツ鋼機の社長に迎えられた。皮肉な巡り合わせだ。
常勤役員はたった1人
選出された取締役は茶山氏のほか、土屋氏が三菱商事(株)に勤めていたときの上司で、元・三菱商事新機能事業グループ監査室長の吉田広務氏(63)、監査法人トーマツの出身で、(株)グッドウィル・プレミア取締役を務めている前田正宏氏(50)の3人。常勤は茶山氏1人という異常な体制を敷いた。
経営陣全員をクビにした土屋氏の強引なやり口に対し、社内では反発が強いという。社内で茶山氏が協力者を得ることは難しい。茶山氏の仕事は、カーライルと組んでMBOを実施すること。取締役は土屋氏が送り込んだ3人だけだから、反対意見は出ない。MBOといっても、大株主になるのは資金の出し手のカーライルだ。カーライルは一定期間、株式を保有した後、株式を高値で売却して投資金を回収するのが目的。
無借金で利益剰余金が707億円もあり、財務内容は抜群。売上高626億円(08年3月期)を上げる世界一のミニラボ会社の買い手はいくらでもある。煮て喰おうが、焼いて喰おうが、株主の勝手とは言え、創業者の娘の思惑に翻弄されるノーリツ鋼機の幹部や従業員は、たまったものではないだろう。