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コダマの核心

丸美 瓦解の必然(3) 金丸オーナーには絶大な運があったのに(上)
コダマの核心
2008年8月 4日 12:13

学生ベンチャー経営者として商才抜群さを発揮

 創業オーナー金丸近氏は1953年2月25日生まれの現在56歳である。聞くところによると西南大学時代からビル・マンションの清掃業を営んでいたそうだ。自ら現場を歩んできた叩き上げだから芯が強い。ある金融会社の経営者は「金丸氏は昔のオーナー経営者タイプだ。転んでもタダでは起きない生命力がある」と激賞していたことがある。いわばリクルートの江副氏やライブドアの堀江氏みたいに、学生ベンチャー経営者として基盤を固めてきた。1976年に(有)丸美として会社を設立した。

 清掃・美装業に専念しつつ1984年に資本金1,200万円で株式会社に組織改組したころには、ぼちぼちとマンション管理業務業にも着手していた。1985年以降には資金力がついてきたこともあり、マンション業者から商品(マンション)を購入して、代わりに管理案件を受託する『ギブ&テイクのビジネス』に踏み出すようになっていた。若き金丸氏がガンガン引っ張っていた当時のエピソードを、沢山耳にしている。

すまいの倒産でチャンス到来

 バブルが弾けた1993年以降、佐賀銀行は福岡都市圏の得意先開拓に注力していた。住宅融資で個人顧客を取り込もうとしていたのが、佐賀銀行の幹部たちは、前述した金融会社社長の賞賛した金丸氏のキャラクターに魅了された。ここから同氏の運が一段と輝き、非凡さが際立ってくる。

 現在の大名にある丸美の本社ビルは1997年当時、バブルの象徴であった。前所有者がバブルの象牙を手放した。入札では佐賀銀行の後押しで並入るライバルを駆逐し、丸美が手にした。
 「えー、丸美ってそんな凄い会社か!」と、一躍注目を浴びるようになった。得意先であったデベの会社の社長が入札に負け、地団太を踏んでいたことを鮮明に覚えている。まさにニューパワーの台頭である。それから丁度1年後の1998年11月に、一世を風靡した(株)すまいが倒産をした。丸美にとってはお得意先であった。ここに金丸近氏45歳にして人生最大の幸運が訪れた。(株)すまいには、子会社に(株)日本ビルシスという管理会社があった。この会社は、親会社が過去供給してきた『ロマネスクシリーズ』を管理してきた優良企業であった。

 日本ビルシスを収奪する戦いも、水面下では激戦であったようだ(この裏話はここでは脱線するので省略)。この当時は、まだ蜜月であった佐賀銀行のサポートがあってこそ、丸美はすまいの管理会社を掌握できたのだ(ロマネスクリゾート霧島も含まれていた。後述するがこのホテル経営の拡大が命取りになる。ロマネスクリゾート霧島は2001年9月から運営管理を開始だした)。現在、賃貸物件も含めて24,000戸近い管理を行っている、九州の有数の管理会社になった丸美の原形は、まさしく日本ビルシスを買収した時点に遡るのである。1997年から1998年の一年間は、金丸氏のビジネス人生の絶頂期であったと言える。

つづく

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