佐賀銀行主導の計画破綻
04年12月、親和銀行からの借入金が、預金相殺という形で強制返済させられた東峰住宅は、再建どころではなくなった。佐賀銀行の力のなさに翻弄させられたのである。加えて、再建2期目に入ると、ともに佐賀銀行の支援下にあった福岡市の大祥建設が05年6月同行によって破綻させられた。これが東峰住宅05年12月期の決算に大きく影響する。大祥建設が建設していた物件が建築半ばで頓挫状態となり、完成が大幅に遅れたのである。そのため売上高も減少、販売契約が取れていた分まで解約となったりと踏んだり蹴ったり。結果、同期の東峰住宅は3億8,000万円の大赤字となり、自己資本も5億5,600万円から1億2,300万円まで急降下してしまった。佐賀銀行は、東峰住宅のマンションを自行の紐付きで建設していた豊栄建設を破綻させ、その残工事をさせた大祥建設も破綻させたのであった。
(単位:百万円) |
2003年7月期 |
2004年12月期 |
2005年12月期 |
売上高 |
6,848 |
4,959 |
2,581 |
粗利益 |
1,003 |
1,029 |
576 |
経常利益 |
△204 |
151 |
△210 |
当期利益 |
△202 |
18 |
△380 |
当時、銀行全体が国の施策に翻弄させられたが、福岡銀行は都市銀行の動きを見て早期に不良債権処理を進めていった。落ち込んだ利益も営業努力で回復させ、優良銀行となっている。しかし、佐賀銀行の場合は自主処理が遅れ、本格的な処理を金融庁が指示するまで長引かせたあげく、なりふりかまわぬ不良債権処理を行ったのが実情である。さりとて福岡銀行のように営業努力で基盤を強固にすることもできず、佐賀という土地柄から預金は集まるものの融資先に苦しむという結果を自ら招いたのであった。