八女市町村会館の建設工事をめぐる疑惑を追及するなか、八女市に対し情報公開請求して入手した文書からは、この問題でもっとも重要な部分が見えてこない。三田村市長がどの時点で「新築案」への方針転換を決断したのかである。公文書からこれまでの経過を振り返ると、次のような流れとなる。
・2月17日、入札不成立を受けて、所管外の総務課長が仕様変更を促す文書を作成。
・2月27日、担当課長が「リファイン」を否定し、新築、予算の増額を提案。
・4月10日、新たな業務委託もないまま山下設計が八女市に「新築案」提示。
・5月1日、山下設計が3パターンの新築案を提示。市内部で採用案決定。
・5月12日、三田村市長が「新築案」への方針転換を正式表明。
確認できる限り、野田国義前市長時代から推進してきたはずの「リファイン」による事業継続については、全く検討されていない。入札日以来の八女市は、リファインを否定し、新築へと方針転換をするための作業をしてきただけである。しかも、報じてきたとおり、山下設計の仕事に疑問を持ちながら、新築への方針変更の根拠を、同社が作成した文書に求めている。山下設計に対する新たな業務委託もせぬまま、仕事を行わせていたことも明らかとなった。行政手続としては不適切極まりない。いつ、誰が、どのような指示を出して「新築案」に変わっていったのか、まるで分からないのである。
公文書の分析を続けるうち、三田村市長が市役所内部で指示を出した証拠となる文書が1枚も存在しないことが判明した。なんと、八女市として「新築案」を採用すると決めた時点の方針決定文書も存在しないのである。
八女市によると、今年5月1日、山下設計九州支社が作成した「新築工事」3案についての概算・工程などの比較書類を受け取り、検討した時点こそが正式に「新築」の方針が定まった時点になるのだという。たしかに収受文書(参照)には手書きで「*A案+1案で検討していく」と記されていたことが明らかとなっているが、この文書の決済は課長止まりである。係員、係長、課長の3人で、A、B、C(中央公民館は1~3)のどの新築案にするかを決めたということになる。三田村市長によるトップとしての意思表示が、どの時点で行われ、なぜ新築になったのか、公文書上は全く確認できない。これが行政の仕事と言えるのだろうか!
つづく